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地の1

2018/08/12

先に書いた「凄い歌」の次に選んだ歌がこの歌です。

・夫在らば「かかって来い」と炎帝に言いて鮎釣りに出掛けしならむ

夏の暑さに対して、とても威勢がいい。
こうでなくっちゃと思います。
暑い暑いと言っても、何ともなりませんからね。

ということで、この歌は次席の歌です。
この会では、次席は「地の1」となります。
次が「地の2」。
その次が「人の1」、「人の2」「人の3」
という具合です。
この歌会の参加者は、
みなさん相当のベテランですので、
本当はそんなに差はつかないのです。
だから、ぼくの好みということで選んでいます。
最初のころは、参加者の一喜一憂が気になりましたが、
最近は、開き直ってきましたので、
気にならなくなりました。
さて、来月はどんな歌に出会えるのかな。

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凄い歌

2018/08/12

月に一回、隣町の短歌会の歌会に出席しています。
8月の会は、昨日ありましたが、
何とも凄い歌に出逢うことができましたので、
紹介させていただきます。

・納棺用にととりおきしレイを身にまとい姉妹会に踊るフラダンス

かなり字余りで、リズムも乱れていますが、
その乱れ具合すら応援しているような歌です。
「納棺用」にしまっておいたフラダンスに用いるレイを
また出して、姉妹会で踊ってしまうというのだから。
この方はもう90歳を超えていると思いますが、
それにしても、よくぞこのような歌を詠んだものだと
ぼくはあきれかえっていました。
一応ぼくが、歌会に出された作品の天地人を決めるので、
もちろん天の歌に選びました。
まさに文句なしです。
因みに、ぼくも出詠しましたが、
相変わらずの成績で、ゼロ票でした。

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短歌研究文庫の『高野公彦歌集』を時折読んでいるのだが、
乗り越しの歌の最も早い例を見付けた。
歌集は『汽水の光』。
歌はこの歌。

・乗り越しし駅のベンチに何するとなく憩へれば旅のごとしよ

実に余裕のある歌で、
最近の歌とは少し趣きが違う。
結句の「旅のごとしよ」がいい。
普通はあわてふためくのだが、
偶には、こういう時間があってもいいかなという境地ではなかろうか。
今はもうまたしてもやってしまったという感じではないのかな。
でも、ぼくらにその武勇伝を語るときは、
随分楽しそうなのだが。
乗り越しは、ひょっとしたら、
高野さんの、生来の癖なのかもしれない。

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ゆるキャラ

2018/07/30

つい最近届いた
栗木京子さんの10番目の歌集『ランプの精』にこんな歌がある。

・ゆるキャラの運動能力高くなり跳んで走つて冬深みゆく

一読納得。
やたら元気なゆるキャラがいる。
ただ今年の夏の暑さには、ゆるキャラ諸兄姉も
きっとまいっていることだろう。
ところで、先日届いた別の歌集にもゆるキャラが詠まれていた。
「心の花」の清水春美さんの第一歌集『あした咲く花』(ながらみ書房)だ。
この歌集では、こんなふうにゆるキャラは詠まれている。

・いつのまに増殖したのかゆるキャラという新生物がテレビにあふれる

まあ、実際はテレビだけではなく、
ありとあらゆるイベントに彼らは登場している。
イベントでゆるキャラがいないと、寂しくなってしまうくらいだ。
岐阜県の多治見市は、夏の暑さが半端でないことで有名だが、
この町などは、暑くなればなるほどゆるキャラの登場回数が増す。
それが「うながっぱ」というゆるキャラ。
とにかくゆるキャラはわれわれの生活になくてはならない、
癒しの存在になりつつある。

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乗り越し

2018/07/19

「短歌往来」8月号の巻頭は、
高野公彦さんの「鰥・寡・孤・独」21首。
こんな歌がある。

・乗り越して下りし深夜の越谷をおしまひの「ん」の如くさまよふ

高野さんの乗り越しに関わる話は、何度も聞いたが、
越谷というのが驚き。
千葉の市川に帰らなくてはいけないのに、
全く逆の埼玉に行ってしまうのだから。
深夜の越谷に着いてしまった高野さんは、
その後どうしたのだろう。
いくら何でもタクシーで帰ることはないと思うが。
一度聞いてみたい。
もう一首、こんな歌もある。

・居眠りは健康によきことなれば乗り越し歌人高野某はよし

うーん、ほとんど居直り。
でも、ぼくも現役時代、大抵の会議は居眠りしていたから、
やはり居眠りは健康にいいのかもしれない。
職員会議でも、校長室での会議でも、
本当にすぐ寝てしまう。

ところで、ぼくはいまだに乗り越しをしたことがない。
滅多に酩酊しないからだと思う。
高野さんのように気持ちよく酔ってしまうと、
乗り越しが可能になるのだが、
ぼくは途中から頭痛がしたりして、
酩酊状態にはならないからだと思う。

それにしても今回の高野さんの歌は、
乗り越し歌人として面目躍如たるものだろう。
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昨日「2566日目」が届いた。
副題には「東日本大震災から七年を詠む」とある。
「塔」の梶原さい子さんが送ってくださった。
「99日目」から始まって、
これが8冊目になる。
実に地道な活動であるが、
大切な活動でもある。
被災地のことがどんどん忘れ去られてゆく中で、
被災地からのこうした発信がいかに大切なことかを改めて思う。
梶原さんがリーダーになって、
東北の「塔」の会員のみなさんが、
積極的に参加しているのは、
理想的な雑誌のあり方ではないかと思う。
この号の特集は、
「震災後、初めて詠んだ一首」。
11名が書いている。
その中で、佐藤涼子さんの文章を
特に興味深く読んだ。
佐藤さんが詠んだ歌はこの歌。

・東側何回見ても何もない 仙台東部自動車道路


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松平盟子さんのエッセイ集『真珠時間』(本阿弥書店)が昨日届いた。
「真珠時間」とは、いかにも松平さんらしい命名だ。
この本の94頁に、
来嶋靖生さんの次の歌が紹介されている。

・歌は無力でよいではないか蜻蛉島大和の国はすでに世になし

すごい歌だと思う。
また、歌の本質を突いている歌でもある。
ここまで言い切ることのできる歌人が、
戦後何人いたろうか。

来嶋さんのこの歌集を読んでいないことに忸怩たる思いが湧いてきた。
ぜひこの歌を載せている『硯』を読もう。
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『邂逅や』

2018/06/30

昨日、西村美智子という方の歌集が届いた。
青磁社から出された『邂逅や』という歌集である。
「邂逅」は「わくらぱ」と読ませている。
帯文を見て、まず驚いた。

「戦後、
高等女学校の生徒が顫えるようにして
のめり込んでいった短歌。
その後、永らく歌から遠ざかっていた
著者が母の死を契機とし、約六十年ぶ
りに作歌を再開しまとめた第一歌集!」

もちろん「約六十年ぶり」に驚いたのだが、
目次を見て、さらに驚いた。
「ぎしぎし歌会」
「稲健さん」
「豊田厚二さん」
「「ぎしぎし」砦の残党」
といった小題のついた一連があるではないか。
そして、永田淳さんの解説、本人のあとがきを
読んで、何と西村さんは、ぎしぎし会のメンバーだったことを知る。
ぼくの感想は、「懐かしい」に尽きる。
ぎしぎし会のメンバーで面識のあるのは鈴木定雄さんと
井上美地さんだけである。
若くして亡くなった方が多い。
存命なのは井上さんだけだと思っていたから驚いた。
念のために「ぎしぎし會會報」の復刻版を見てみると、
後半には、西村さんの詠草が掲載されていた。
西村さんをぎしぎし會に誘ったのは、
恩師にあたる出崎哲朗さんであった。
歌の別れは早かったが、
亡くなられた母親の挽歌が朝日歌壇に掲載されたのをきっかけに
「塔」に投稿しはじめて現在に及んでいる。
昭和6年生まれだから、
今年87歳になられる。
あとがきに「生涯最初の歌集」という言葉があるが、
実に重い言葉であるし、改めて歌の力というものを思う。
三首紹介する。

・数えきれぬ春過ぎたれど出崎先生と浴びしさくらを我は忘れず

・稲健さんロマンチストでありしかな帽とマントに花むくろ載せ

・稲健さん児らに囲まれシャボン玉盛んに売れり昔の四条

「稲健さん」は後に「未来」の論客として知られるようになる稲葉健二である。
もちろんぎしぎし會のメンバーであった。


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島成郎の母親は、高安綾子という。
こう書けば、誰しも高安国世の縁戚ではないかと思うだろう。
実際に高安綾子は、国世の長姉である。
つまり、島は、高安国世の甥である。
このことは、
松村正直の『高安国世の手紙』にも書かれている。
第30章「六〇年安保とデモ」である。
ただ、松村は島について、
「全学連の書記長」と書いているが、
私は、ひょっとして、
松村は、島がブント(共産主義者同盟)の指導者であったことを
知らないのではないかという気がしてきた。
島は、共産党に入党した後、
その政治姿勢に飽きたらず、
ブントを立ち上げ、60年安保の中心的指導者になるのである。
もちろん反共産党の旗印を鮮明にして。
当時全学連の委員長は、唐牛健太郎であったが、
唐牛はどうやら島に祭り上げられたらしい。
本来は、島が委員長に就くのが順当であったようだが、
あえて島は就かなかった。
ということで、私の説は、
高安は、甥の島がブントの指導者として、
安保闘争に中心にいることを当然承知していた。
だから、「塔」に高安にしては、
珍しい政治的な内容に関わる歌も文章も載せたのではないかというものだ。
このような説についての、
ヒントはもちろん今読んでいる島の評伝によって与えられたものだ。
松村がこの評伝を読んでいるのかは、分からないが、
読んでいないようなら、読んでほしい。
というより、すぐにでも読むのではないかと思うが。
島成郎という、たぐいまれなるオルガナイザーと、
高安国世との関わりは、
一度論じてよいのではなかろうか。
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一昨日、「路上」141号が届いた。
この号には、二つの日記が掲載されている。
一つは、佐藤通雅の叔父の千葉壽郎の日記。
もう一つは、佐藤自身の「読書ときどき日記」。
この日記は、佐藤幹夫の『評伝 島成郎』(筑摩書房)の読書日記。
この読書日記を見付けて、すぐ読み始める。
実は、この島成郎の評伝は、新聞の読書欄にも取り上げられていて、
かねてより読みたいと思っていたからである。
島について、私が知っていたのは、
60年安保闘争で最も果敢に戦ったブントの指導者ということと、
その闘争の過程で吉本隆明と親交をもったということだけ。
ところが、この日記を読んですぐ知ったのは、
60年安保が敗北に終わった後、
運動とは一切関わりを絶ち、
大学に復学し、後に、返還前の沖縄に精神科医としてわたり、
沖縄の精神医療の柱となっていったということ。
ということで、この評伝を何としても手に入れて詠まなくてはいけないと思い、
昨日大学の講義を終えた後、駅前の三省堂本店により、
手に入れ、すぐ読み始める。
350頁ほどあるので、
少し時間はかかりそうだと思った。
でも、読み出すと、全く知らなかった精神医学の世界と、
沖縄が精神医療の面で、さまざまな事情から、
本土とは比較にならないほど遅れていたことなど、
次から次へと語られていくので、止まらない。
きりをつけるのが難しい。
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