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『うたうおばけ』の著者くどうれいんさんは、
この本の履歴にあるように
コスモス短歌会に所属している。
しかし、「コスモス」で工藤さんの歌を見た記憶がない。
読者としても選者としても。
ただ「読者としても」というのはあてにならない。
熱心にいつも「コスモス」を読んでいるわけではないから。
ところが、本日届いた「コスモス」2月号には、
工藤玲音さんの歌が載っている。
「COSMOS集」に5首掲載されている。
その歌を紹介する。

・未来って来週のこと 真空のささみが並ぶ夜のコンビニ
・納豆がわたしのために置いてあり食べずに仕舞う実家暮らしよ
・病院にいきなと打って縞馬がベッドで眠るスタンプ送る
・通勤にある山茶花は天国で通勤するときも咲いていたよ
・降ってるね降ってますねと言い合って常務と冬の雨を見ている
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「歌壇」2月号に、
大口玲子が「全国高校生短歌オンライン甲子園報告記」を書いている。
「二〇二〇年十一月七日に宮崎市と各地を結んで開催された。」
とあり、出場校は6校。
決勝戦は、三重県の高田高校と宮崎県の五ヶ瀬中等教育学校。
決勝戦だけは、題詠でなくて自由詠。
すべての作品が紹介されていて、
五ヶ瀬中等教育学校のメンバーの俵匠見君の歌はこんな歌。

・平日も出し惜しみしない滝だから水族館より滝に行きたい

上の句は、まさにお母さん譲りとしか言いようがない。
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松村さん

2021/01/13

松村正直さんが自身のブログ「やさしい鮫」で、
塔短歌会を退会するに至った経緯について書いている。
退会したというだけでは、
真情が理解されず、
いろいろと誤解や忖度が渦巻いているのだろう。
この文章を読めば、
多くの人は納得するだろう。
決断の時を誤りたくないという
強い信念がこのような選択を促したことは間違いない。
前にも書いたが、
今後どんなふうに活動の場を
生み出してゆくのか楽しみだ。
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「塔」1月号の巻頭の吉川宏志さんの書かれた
「年頭所感 コロナ禍への対応、そして大きな転換」を読み、
茫然とする。
こんなことになるとは。
確かに予兆はあったような気がする。
しかし、二人揃ってとは。

江戸雪さん、松村正直さんが退会とある。
江戸さんは「編集後記」に退会の弁を書いている。
松村さんは、退会の弁については、固辞されたとある。

このお二人がそれぞれどのような船出をされるのか、
刮目することにしよう。
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暗雲晴れる

2021/01/06

昨年九月初めのがん検診で引っ掛かり、
精検を受け、
その結果、経過観察。
そして、昨日再検査。
本日結果を聞く。
何とかセーフ。
疑問視された箇所について、変化なしということで、
一応疑いが晴れたということになる。
この間四か月、どうも気持ちが暗くなりがちで、
いろいろなことを考えたが、
これで、しばらくは書くほうに集中できるようになるだろう。
検診というのは、受けたくはないが、
ある程度の安心感は得られる。
でも、今回のようなヒヤヒヤドキドキのコースもあるわけで、
このコースには乗りたくないと、
しみじみと思った次第である。

ということで、やっと、
新年おめでとうございますと書くことができる。

今年の抱負もいろいろあるが、
追い追い書いていきたい。
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北上次郎の『書評稼業四十年』を読んでいて、
こんな箇所に出くわした。
53ページ。
佐藤多佳子が『一瞬の風になれ』で
本屋大賞を受賞したときの二次会の話。
以下、引用する。

新潮社の田中範夫がトイレを探して店内で迷い、偶然にも
ふらふらと私たちの席の近くまでやってきて、「あれ、なんで
北上さん、こんなところにいるんですか。佐藤さんの打ち上げ、
向こうでやっていますよ」と言うので、そちらにお邪魔したので
ある。すると、各社の編集者がたくさんいた。顔を知っている
人もいれば、知らない人もいる。すると、一人の男が「あ、
こいつ、おれのこと、覚えていないな」と察して、ぱっと立ち
上がり、名刺を差し出してきた。帰宅してから名刺を調べる
と、その男の名刺が四枚もあった。講談社の国兼秀二である。
こうやって、向こうから名刺をくれる人はいいのだが、ほんの
たまにパーティに出た時、旧知の人のように話かけてくる人が
いたりすると、今さらな名前は聞けないし、困ってしまうのである。

こういう発見があるから、
ついついいろんな本を読んでしまうのである。
短歌とは関係ない本を読んでいて、
短歌に関わりのあることを発見すると、本当に楽しい。
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池田理代子さんの第一歌集『寂しき骨』を昨日購入。
歌集というよりは、解説の永田和宏さんが書いているように
歌文集という感じ。
だから文章のほうをついつい読んでしまい、
歌の方は後回し。
そもそもぼくは、池田さんの漫画を読んだことがない。
あの「ベルサイユのばら」も読んだことがない。
年齢的には池田さんが三歳上になるから、
ほとんど同世代なのだが、
「ベルばら」を読みたいと思ったこともなかった。
何せいまだに「ビッグコミック」を読んでいるくらいだから、
あまり女性の漫画家に関心がなかったことは確かだ。
女性の漫画家で一番好きなのは高野文子だ。
近藤ようこもかなり読んでいる。

ところで、池田さんはかつては「心の花」に所属していた。
今は塔短歌会に所属している。
塔短歌会の人からは、
池田理代子さんは別の名前で投稿していて、
多分あの人だと思うといわれたことがある。
しかし、この本では、
一度も投稿したことはないと書いている。
つまり、この歌集には、「塔」に投稿した歌は載っていないということだ。
池田さんが折に触れつつ、
何とか詠んできた短歌をまとめた歌集というのが、
正確なところであろう。
なお、出版元は集英社。
定価は税別1700円。
巻頭の一首を挙げる。

・南方の戦を生きて父は還る 命を我につながんがため

定型できっちりとした歌を詠んでいるが、
全体的にこういう歌の詠み方をしている。
ぼくのような人間には、
安心して読める歌である。


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第11回中日短歌大賞の受賞作が
12月22日の中日新聞朝刊に発表された。
荻原裕幸さんの『リリカル・アンドロイド』と
升田隆雄さんの『昼の銀河』の二作受賞が発表された。

選考会は12月19日に、
名古屋市の名古屋市短歌会館で行った、
選考委員は7名。
選考委員長は、小塩卓哉さん。
副委員長は、馬淵典子さん。
馬淵さんはかつての「原型」所属で、
斎藤史にはたいそう可愛がっていただいた方だ。
委員は5名。
前回受賞者の井野佐登さん、大辻隆弘さん、細溝洋子さん、
三島麻亜子さん、吉田淳美さん。
錚々たるメンバーだ。
この7名でじっくり審議して二作受賞が決まった。
受賞式は、1月23日、ルブラ王山で予定している。
感染状況により、
変更する可能性は当然ある。

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12月5日発行の「六花」5号の巻頭に
「師と弟子」と題する文章を書いた。
この原稿を送ったのが、9月の半ば過ぎだったが、
その後、池田はるみさんの『亀さんゐない』を
読んで驚いたのなんの。
『亀さんゐない』の「新橋「夜光盃」にて」の一連8首に
こんな歌がある。

・ドラム缶の風呂をよろこぶ茂吉なり大内豊子そを準備せり
・アララギの校正係りの茂吉なり大内豊子その妻にして
・ドラム缶の風呂に入りたる間にて斎藤茂吉の下帯洗ふ
・「煮しめたやうなおふんどし」締めてゐた斎藤茂吉そを知る豊子
・斎藤茂吉が名付けし「大内豊子」官女のやうな名前とおもふ
・未亡人大内豊子わたくしにめぐりあはせて歌をしへたり

なお「アララギの」の歌については、「山口茂吉とは」という詞書がある。
斎藤茂吉が戦後の昭和23年に
ようやく山形の大石田から東京へ帰ってきて、
弟子の山口茂吉を訪ねた際に、
茂吉は勧められて山口茂吉邸に備えらたれドラム缶風呂に入った。
そして、茂吉が入っている間に、山口の妻の大内豊子が
茂吉のふんどしと手拭を洗ったのだ。
多分、茂吉のふんどしは、東京へ帰還してから、
洗ってなかったのだろう。
このことを池田はるみさんは最初の短歌の先生であった
大内豊子から聞いたのだ。
大内豊子の本名は山口恭代。

私が驚いたのは、この歌に詠まれた内容を
「師と弟子」に書いたからだ。
池田はるみさんが山口茂吉の妻に
短歌のてほどきを受けているなんて思いもよらなかった。
私だけが調べあげたことだと少し得意になっていたことも
あって余計に驚いた。
ただ、私の文章は、
この茂吉のドラム缶風呂入浴を枕にして、
本題の斎藤茂吉と山口茂吉との師弟愛について
書いている。
関心のある方はどうぞ「六花」を求めてお読みください。

実は池田さんからは、
ぼくの「師と弟子」を読んで、
驚いたという葉書をいただきました。
大内豊子さんは、もともと茶道の大先生だったということも
書いてありました。
最初は茶道を教えていただき、その後短歌の添削を
してもらうになったそうです。


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「短歌人」12月号の連載
「「短歌人」の一首」で、
宇田川さんが青柳守音さんの第二歌集『風ノカミ』の歌を
取り上げて書いている。
青柳さんがいなかったら永井陽子さんの全歌集も
遺稿集の『モモタロウは泣かない』も刊行は難しかったと
書いているが、ぼくも同感だ。
特に全歌集は、何度か暗礁に乗り上げたのを、
青柳さんがあちこちの出版社と交渉して、
何とか刊行にこぎつけることができたと、
ご本人からその苦労話を聞いている。
青柳さんは長く県立高校の司書をしていたので、
お会いする機会があったのだと思う。
出会ったのは、多分30数年前だと思う。
誰かの歌集の会だと思うのだが、思い出せない。
しかも、その時広坂早苗さんとも出会っているはずなのだが。
宇田川さんは、最後に次のように書いている。

「二〇一〇年十一月四日、逝去。訃報は「コスモス」の鈴木
竹志さんから知らされた。あれから十年経った。そういえば
鈴木さんを紹介してくれたのは青柳さんだった。」

そうか、宇田川さんとの出会いも、
青柳さんからだったのだ。
一度だけ名古屋で行われた「短歌人」の歌会に
出席したことがあるが、それも青柳さんの手配だった。
確か当時の主宰の高瀬一誌さんとも、その会でお会いしたのだと思う。

青柳さんが亡くなられて、もう10年。
果たして自分は何をしてきたんだろうと思わざるをえない。
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