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「幻桃」9月号の荻原裕幸さんの連載「短歌のふしぎ」にも
岡井さんの思い出が語られている。
『短歌パラダイス』に関わる歌合せの思い出である。
岡井さんのご自分の歌への執着がどのようなものか
語られている。
「レ・パピエ・シアンⅡ」の9月号の特集2は、
「岡井隆さんを悼む」。
大辻さん以下5名の同人が書いている。
大辻さんの文章の題は、
「岡井さんに叱られたこと」。
岡井さんに叱られた人は、そんなにはいないと思う。
ぼくの文章についても、苦言はあったようだが、
直接どうということはなかった。
そんにはいないから、
この大辻さんの文章は貴重だ。
それにしても若い頃の大辻さんはかなり生意気だったんだと驚く。
岡井さんが怒るのも当然だなと納得した。
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記憶の捏造

2020/09/23

前回書いた内容の確認のために、
宮英子さんの『葉薊館雑記』を見つけ出して読んだのだが、
愕然とするしかなかった。
宮柊二邸のアカンサスは、
近藤芳美邸から分けてもらったものではなかった。
白玉書房の鎌田敬止さんから分けてもらったものだと、
「あとがき」に書いてある。
因みに近藤芳美も土屋文明も、
鎌田さんから分けてもらったようだ。
だから、近藤芳美と宮柊二の親密さについては、
全く根拠のない話なのだ。
どうしてこんな根も葉もないことを書いたのだろうか、
われながら呆れている。
まさに記憶の捏造だ。
多分、戦後派歌人について書いた本の内容を
無意識のうちに結びつけてしまったようだ。
ただ、宮柊二が、昭和20年代、
酒の席でいろいろあったというのは、間違いない。
ところで、宮柊二と近藤芳美との交流は、
はたしてあったのだろうか。
朝日歌壇の選歌で顔を合わす程度だったのだろうか。
また調べてみよう。

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「幻桃」9月号に篠田理恵さんという方が
「アカンサスふたたび」という文章を書いている。
この題を見ただけで、
何が話題なのか分かる人は多くいるのでは。
特に「未来」の方は。
篠田さんは、きさらぎあいこさんからいただいたアカンサスが
咲いたことを書いている。
これだけだと別段書く理由もないだろうということになる。
ところが、篠田さんは、きさらぎさんからいただいたアカンサスを何度も枯らし、
今年遂に咲いたので書いたのである。
その喜びを次のように書いている。

とにかくアカンサスである。土屋文明が愛し、
近藤芳美が愛した花の末裔がわが庭に咲いた。
折しも近藤芳美の命日は六月二十一日、
記念すべき二〇二〇年六月である。

さて、ここからが本題。
実は、宮柊二邸にもアカンサスはあったのである。
今もあるかは知らない。
もちろん宮柊二邸のアカンサスも
近藤芳美の庭に植えられていたものである。
なぜアカンサスが宮邸に届いたのかその経緯は
かつて宮英子さんが書いていた。
今手の届くところに、その本がないので、
詳細は書けない。
とにかくアカンサスがあったのである。
戦後派の歌人たちの交遊はかつては親密だった。
そういう点では、現在よりもよほど
温かい人間関係があったのだろう。
もちろん酒を飲んでの大ゲンカにも事欠かなかったようだが。
とにかく人間臭さがあったのだ。


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「まひる野」9月号を読む。
篠弘さんの「最近の諸誌に探る」は、
当然と言えば当然か。
「未来」8月号巻頭の岡井さんの作品。
篠さんは、「後記」でも岡井さんについて書いている。
特に晩年の詩作について。
富田睦子さんの時評「短歌史と歌人史」が興味深かった。
こんなことを書いている。

「私は、短歌史と並行して歌人史があるといいと思う。
どのような歌人がどのような交流をしたか、また、ひとりの
歌人がどのように生きて、その都度どんな短歌を残したのか。
 適当に区切った時間の流れの中に人間を置くのではなく、
人間が生きている時間の中になにかの凝り、なにかの交錯
を見るような、そんな視点が必要ではないかと思う。」

主旨には賛成。
でも、実現は難しい。
これを実現するためには、膨大な資料をが必要だ。
資料をどうやって集めるか。
国立国会図書館で検索して送ってもらうというのも、
厖大な時間がかかる。
あるいは、北上市の詩歌文学館に通いつめるか。
これも大変だ。
ただ、こういう作業をやり遂げた歌人はいる。
加藤淑子さんだ。
加藤淑子さんの『山口茂吉』は、
富田さんが言うような書である。
山口茂吉だから、
当然メインで登場するのは、斎藤茂吉である。
加藤が描く斎藤茂吉は、本当に人間味があって、
人情深い近所のおじさんという感じがする。
気難しい人物とは到底思えない。
加藤さんは、斎藤茂吉についても、
富田さんが考えるような仕事をしている。
しかし、私は、加藤さんが、いったいどのようにして、
あの厖大な資料を手に入れたのかは
分からない。
東京の人だから、
国立国会図書館に通いつめたのだろうか。
あるいは、山口茂吉の遺族から相当の資料を譲り受けたのだろうか。
とにかく、歌人史というのは、
とんでもなく資料と時間が必要な仕事だと思う。
加藤淑子さんの後を継ぐような歌人は、
今後あらわれそうもないが。
私もかつては考えたが、もう時間が足りない。
資料も一部は、寄贈してしまったので、
なんともならない。
でも、細々とやろうかなとは思っている。

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「八雁」が届いた。
阿木津英さんの連載「続 欅の木の下で」は、
当然と言えば当然なのだが、
岡井さんについて書いている。
阿木津さんも「岡井さん」という呼称を使っている。
確かにぼくらの世代は「岡井さん」としか呼びようがない。
岡井さんの優しさということを考えた。
岡井さんは、いつも自分より若い者の言うことを聞いてくれた。
賛成とか反対ということはなかったような気がする。
ただ聞いてくれた。
それが岡井さんの優しさではなかろうかと思う。
さて、阿木津さんの文章だが、
こんなことが書かれている。

また少し話はそれるが、石田比呂志はそういうときの岡井隆に
寄り添って力づけた。地上の泥にまみれて生きてきた石田比呂志
の本音による励ましは、たんに私利私欲から出るものとは
ことなるニュアンスがあっただろう。

「そういうとき」とは、
岡井さんが歌会始めの選者になり、
「変節」を云々されたころ。
石田さんは、一見豪放磊落で、
とんでもない人だなあと初めて会った時は思ったが、
本当に優しい人だということは、
そのお会いした日以降じわじわと伝わってきた。

今引用した次にはこんなことが書いてある。これも優しさに関わる。

石田は四面楚歌になっている者にそっと寄り添っていく
ところがあった。「未来」を出て行かざるを得なくなった
田井安曇に対しても、そうであった。

田井さんが「未来」を出ていかざるをえなくなったのは、
もちろん岡井さんが「未来」に復帰したからなのだが。
要するに石田さんは、苦しむ者には、立場は関係なく
寄り添うことのできる人だったのだ。

阿木津さんは岡井さんについて4ページ書いている。
あの世の岡井さんは、そんなことを思っていたのなら、
もっと早く教えてくれてもよかったのにと言っているかもしれない。


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「鱧と水仙」の第55号が届く。
今号の特集テーマは、
「コロナとの日々」。
発案者は坪内稔典さん。
作品ありエッセイありで読み応えがある。
ところが、発案者の稔典さんは、
「マスクのなかの岡井隆」というエッセイを書いていて、
コロナの話題てはなく、岡井さんと二人だけになったときに
聞いてみたい三つのことについて書いていた。
三つ目がきわどい質問。

「どうして歌会始の選者になり宮内庁御用係をつとめたのですか、
ということ」

この勢いで、同じく歌会始の選者、三枝さん、永田さんにも噛みついている。

そういえば、現在の御用掛の篠弘さんが、
「短歌研究」10月号のインタビュー記事で、
岡井さんの最初の奥さん、二番目の奥さん、三番目の奥さんについて語っている。
最初の奥さんは「未来」の仲間の山口智子さんなのだが、
なぜか篠さんは、特定できる情報を語りつつ、
固有名詞は出さなかった。
二番目、三番目の奥さんについては、
初耳のことがいくつかあり驚いた。
あの九州行きについては、
最も詳しく知っている人は、
篠さんだけになってしまったんだなあとつくづく思う。


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三月書房

2020/08/29

高橋千恵さんの第一歌集『ホタルがいるよ』(六花書林)にこんな歌がある。

・こってりの胃を引っさげて見つけたり寺町通りの三月書房
・歌集五冊を背負いつつ六地蔵行きに乗り換えようやく座る

もちろん京都の三月書房を訪ねた際の歌である。
五冊も買い込んだのだ。
ぼくも一度だけ訪ねたことがある。
三冊くらいは買ったかなあ。

この三月書房がなくなってしまう。
すてに地べたの本屋のほうは閉店してしまい、
通販のみになっている。
通販のほうも今後閉店するようだ。
短歌関係の雑誌も多くとり扱っていて、
歌人にとっては、聖地の趣もあったが、
ぼくも通販ではよくお世話になっていて、
本当に残念だ。
短歌関係の友人たちから、
歌集を手に入れたいという相談があると、
まずは三月書房のホームページで確認して
手に入れるといいよと言っていたが、
これも今後はできなくなる。

大きく時代が変わろうとしているときの
ひとつの余波なのだろうか。

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今日の中日新聞の夕刊に、
「つぶやく短歌」の四回目が掲載されている。
今回は、大松達知くんが登場している。
コスモスの仲間がこういう欄に登場するのは、
率直に言ってうれしい。
コスモスの人は、あまり表に出ることを好まない。
正確に言えば苦手なのだ。
優れた歌を詠む人はたくさんいるが、
歌壇という場には出たがらない。
欲がないというより、
短歌というものはそういうものだという考え方だろう。
目立つ必要はない。
自分の詠みたい歌を詠む。
それで十分だという人が実に多い。
さて、大松くんの文章だが、
教員の立場から、
今の教育の現場を語っている。
特に生徒たちに対するまなざしは鋭い。
とんでもない日々を送る
生徒たちの心がどのように変化してゆくのか。
答えは、数年後には出るだろう。
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「NHK短歌」9月号の「歌会ウオッチング」欄に、
ぼくが編集している「灯船」の紹介記事を書いた。
まず「灯船」という雑誌がどのような経緯で生まれたのかについて。
それから一日がかりで行う批評会につて。
そして、2月22日に行った17号の批評会について。
短歌関係のリアルの集まりでは、
この22日が最後だったようだ。
この後は、ほとんど中止、
あるいは人数を大幅に減らして、
オンラインでの開催となっていった。
まさに怒涛のような半年だったが、
まだ先は全く不透明。
どのような予測も当たる保証がない。
わが「灯船」の批評会も、
年内に予定していた批評会はすべて中止。
年齢層が高いので、オンラインも無理。
今後どのようにして批評活動を行うか
しっかり検討していくべき時期に入ったようだ。

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その人

2020/07/27

昨日書いた記事について補足する。
その人について、
あいまいな記述をしていたようなので、
正確に記しておく。
「その人」は、現在コスモスには所属していない。
というより、今現在彼がどこでどうしているかを知らない。
歌壇関係の名簿にも彼の名前はない。
1978年5月に出された「コスモス」の合同歌集
「宇宙の花」にも彼の名前はないので、
多分、70年代の初めには、コスモスから離れたのではないかと思う。
結社誌というものは、
退会者の名前は記さないので、
この程度の幅でしか言えない。
ということで、
私はコスモスに関わる会合で、
「その人」には会ったことはないと確信できた。

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スズタケ

Author:スズタケ
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