「東海の文芸」欄
2011/05/31
何人かの方から、
「朝日新聞」の夕刊の「東海の文芸」欄に
取り上げられていますよという連絡をもらう。
荻原さんが書いてくれたんだということは分かった。
しかし、我が家は「中日新聞」とか購読していない。
ということで、
今日淑徳の星ヶ丘キャンパスの図書館で読んだ。
「朝日新聞」の5月28日の夕刊。
もちろんコピーもとる。
ポイントは二つあって、
一つは「これまで見たこともない現代短歌の俯瞰図」という
捉え方。
もう一つは、
「おのずと秀歌観の回復に向かっている」という捉え方。
どちらも、
ぼくにとっては、非常にありがたい指摘である。
特に「秀歌観の回復」という指摘が嬉しい。
調子に乗って、一言言えば、
総合誌等で話題になるのは、
秀歌ではなくて、問題作。
しかも、その問題作が
あちこちで話題になるだけで、
結局問題作以外の歌は、
忘れ去られてゆく。
いい歌は、たくさん詠まれているのだから、
そういういい歌を探し出して、
話題にしたほうが、
短歌の現在にとってはよほど意義のあることだと
ぼくはこれまで思ってきた。
「朝日新聞」の夕刊の「東海の文芸」欄に
取り上げられていますよという連絡をもらう。
荻原さんが書いてくれたんだということは分かった。
しかし、我が家は「中日新聞」とか購読していない。
ということで、
今日淑徳の星ヶ丘キャンパスの図書館で読んだ。
「朝日新聞」の5月28日の夕刊。
もちろんコピーもとる。
ポイントは二つあって、
一つは「これまで見たこともない現代短歌の俯瞰図」という
捉え方。
もう一つは、
「おのずと秀歌観の回復に向かっている」という捉え方。
どちらも、
ぼくにとっては、非常にありがたい指摘である。
特に「秀歌観の回復」という指摘が嬉しい。
調子に乗って、一言言えば、
総合誌等で話題になるのは、
秀歌ではなくて、問題作。
しかも、その問題作が
あちこちで話題になるだけで、
結局問題作以外の歌は、
忘れ去られてゆく。
いい歌は、たくさん詠まれているのだから、
そういういい歌を探し出して、
話題にしたほうが、
短歌の現在にとってはよほど意義のあることだと
ぼくはこれまで思ってきた。