暖かい一日。
午後、中央図書館へ。
調べ物がいくつかある。
しかし、調べてゆくうちに、
怒りがどんどん湧いてくる。
要するに、
いくら調べてもぼくが欲しいものが出てこないのだ。
町史とか市史のたぐいを
見てみたが、どうにも見つからない。
そういうものをよくよく見てみると、
活字ばかりで、
誰がこのようなものを読むのだろうかと思ってしまう。
つまり、読者を想定しないで、
とにかく書き上げたという原稿で埋められているだけなのだ。
ということで、ストレスのみ溜まる。

紅葉がきれいだ。
刈谷の町は、
この一週間くらいが一番紅葉の美しい時期なのだろう。
そして、本格的な冬がやってくる。
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淑徳の日。
2限は、宮柊二の歌と前衛短歌について。
時間の関係で、前衛短歌に入ってしまったが、
ちょっと無理があったかなと反省。
3限は、自由詠の歌会で、
しかも歌会そのものを録音するということで、
13時集合で、
詠草の読み合わせをして、
13時半より開始。
何とか15時までには終えることができた。
そのあと、図書館で
「朝日」の日、月を読む。
それから、「波」のバックナンバーで
永田さんの文章を読む。
すでに12月号を先に読んでいたが、
11月号も非常に内容が厳しいもので、
永田さんのとにかく書ききるという執念のようなものを
感じざるをえなかった。
図書館には、17時前までいる。
その後、駅前のジュンク堂により、
「エンタクシー」の最新号と
岩波文庫を一冊購入。
その後、
金山のマツモトキヨシに向かう。
刈谷北の卒業生がちょっとした会を設けてくれたので、
出かけることにした。
18時50分集合だが、
誰もいないなと思ったが、
ちょっ離れたところを見ると、
あれっ、どこかで見た顔ばかりだなあという集団を発見。
今日の集まりは、3人のはずだが、
なぜこんなにたくさんいるのだろうと思いつつ、
接近する。
間違いなく刈谷北の卒業生たち。
何とメンバーがどんどん増えて、
15名になったとのこと。
ただ1名は、風邪で欠席。
アスナルの3階で会食。
食べるより話すほうがいいみたいで、
とにかく賑やか。
時間制限があるので、
河岸を変えて、デニーズへ。
10時過ぎまでいる。
まあ、とにかくみんな何とか大学へは
通っているようで安心。
ただ約一名、
在学中より遅刻の常習犯で、
大学でもそれは治らず、
単位がやばいと言う。
人間そう簡単に変われるものではないなと痛感。
終わりころには、
顔と名前が一致してきた。
とにかく顔を覚えているのだが、
名前がすぐには浮かんでこない。
年を取るということが、
最も顕著にあらわれるのは、
固有名詞の記憶だと思う。

11時ころに帰宅すると、
Oさんからメール。
明日名古屋へ来るが、
飲むところを教えてほしいとのこと。
すぐ返信する。
駅前の店を紹介。
最近はあまり行ってないが、
以前は1年に、1,2回は必ず行っていた。
雰囲気がいい。
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中日歌人会の三重特別歌会。
会場は、四日市市のじばさん三重。
近鉄の名古屋駅で倉地さんに会う。
一緒に会場に向かう。
近鉄の四日市駅周辺は、
かなり整備されていて、
人が集まりやすくなっている。
こういう努力がないと、
町はすぐに衰退していってしまう。

歌会は13時半から16時過ぎまで。
司会は前半がぼくで、
後半は大辻隆弘さん。
大辻さんがいろいろ突っ込んでくれるので、
盛り上がる。
詠むことの基本について、
大辻さんが指摘してくれたので、
参加された方には勉強になったと思う。
ただ参加者は若干少なくて、
25名弱。
30名くらいだといいのだが。
ただ、一人ひとりの歌について、
じっくり話し合うことができたので、
参加された方は得をしたと思う。
帰りはコスモスの会員の人たちと。
こういうことも、
実は初めて。
コスモスの会員の人たちは、
こういう結社の枠を超えた歌会には、
これまであまり参加しなかったので
ぼくはいつもひとりぼっちだった。
しかも、今日は、コスモスの人が賞に入ったので、
それも嬉しかった。

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終日、東京都内をバスで移動。
行きは、品川駅からバスに乗車。
帰りは、東京駅の日本橋口で降車。
日本橋口というものができたなんて
全然知らなかった。
最初はいったいここはどこかしらんと思ってしまった。
新幹線の乗車まで少し時間があったので、
軽食をとる。
何とイノダコーヒーで。
大丸の8階に、イノダコーヒーがあるのも驚き。
遂に東京進出というところ。
わが愛知を席巻したコメダ珈琲が
東京に進出したように、
イノダコーヒーが京都から
東京に進出したのだろう。
もちろん、珈琲もサンドウィッチも
京都の店と同じレベルだった。
こうなったら、
早く名古屋にも進出してほしい。
いやあ、それはないか。
何せ名古屋とばしが常識ですから。

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10時より中日歌人会の役員会。
会場は、名古屋市短歌会館。
第2回中日短歌大賞の候補作を決める。
他には、来年度のことも少し決める。
昼食後、丸善へ。
買ってしまう。
まず金文京氏の『漢文と東アジア』(岩波新書)。
漢文訓読が日本だけに生まれたものではないということがテーマ。
知的刺激を受けそうな気がして探していた。
もう一冊は、
万城目学の『ザ・万歩計』(文春文庫)。
この二冊は、
実は、昨年出された本なのだが、
最近になって話題になっている。

1時より中日歌人会の事務局会。
2時過ぎには終わり、帰宅。
もちろん書店には寄らない。
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淑徳の日。
二時間目の現代短歌の講義、
初めは、何と一桁の人数。
これはまいったなと思ったが、仕方ない。
白秋の歌の残りと
宮先生の歌について、
ひたすら話す。
話しているうちに、
学生の数が増えてきて、
20名を超えていた。
その中で、
一人見かけない人がいるなあと思いつつ、
終わると、
その学生がこちらにやって来る。
「久しぶりです」と言われて、
よく見たら、何と野口あや子さんだった。
去年の夏以来だから、
もう一年以上会っていなかった。
卒業後は、東京へ出るとのこと。
確かに短歌に真剣に取り組もうというなら、
東京は、まさに地の利がある。

その後別の学生たちが来て、
来年の1月27日に、
穂村弘さんが淑徳に来られるから、
宣伝してほしいという。
もちろん、します。
というより、この講義でも、
穂村さんについては、話すつもりだったから、
まさに渡りに舟ということになる。

帰りに仕方なく三省堂に寄る。
もちろんほしかった本はなかった。
でも、先週ジュンク堂であった
K先生にまた会えたから、よかったかな。
それで、一番ほしかった本ではないが、
読んでもいいかなと思っていた本があったので、
購入。
またしても散財。
家にはもうほとんどスペースがないというのに。
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午後からコスモス短歌会愛知支部歌会。
いつもは、名古屋市短歌会館を使っているが、
今日は、短歌会館の行事のため使用できず、
愛知県芸術文化センター12階のアートスペースが会場。
何ととなりの部屋は、まひる野短歌会の歌会。
ということで、島田さんに挨拶。

会場に行く前に、
B1のショップで
『宮芳平自伝』を見つけ、購入。
本当は、中世のオランダの画家について
書いた本はないかなと思って覗いたのだが、
この本を見つけしまった。
見つけた以上、買わないわけにはいかない。
宮先生は、この人の甥になる。
数年前、安曇野の美術館で、
宮芳平の絵は見た。
それにしても、この本は安い。
569頁もあるのに、
税別1800円。
奇跡に近い。
因みに出版社は求龍堂。
美術関係専門の出版社だ。
この本には、長い副題があるので紹介する。
この副題に書かれた事実が、
今日においても、
宮芳平の名が忘れられない理由だ。

「森鴎外に愛された画学生M君の生涯」。

宮芳平がモデルとなった鴎外の小説は、
「天寵」という。
この本には、
ちゃんとこの「天寵」も収められている。
周到というしかない。


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郡代の妻

2011/11/19

先日、高山へ出かけた時、
妻が入った雑貨店のレジの脇に、
「文苑ひだ」という雑誌の創刊号が置いてあったので購入した。
瀧井孝作の娘さんのエッセイが掲載されているし、
山崎方代について書いてあるエッセイも掲載されているので購入した。
定価は1000円。
瀧井孝作の娘さんの名前は小町谷新子。
「朴の木」と題するエッセイ。
副題は「父、瀧井孝作と故郷ゆかりの木」。
小町谷さんの家の裏庭に
瀧井の植えた朴の木があり、
その木をめぐってのエッセイ。
味わいはあるが、何しろ短いのが残念。
原稿用紙2枚程度かな。

それから元田五山という人が、
「歌人山崎方代さんのこと」というエッセイを書いている。
元田さんは、方代の友人であったようで、
方代は、元田さんを訪ねて、
高山へ来たこともあるようだ。
方代の歌に、
高山方面の歌があったのかどうか、
一度確認してみたい。

ということで、この二つのエッセイが目的で
購入したので、もうこれでこの雑誌もお蔵入りかなと思っていたら、
何気なく「郡代の妻」という小説を読み始めたら、
これが滅法面白い。
というより、感動してしまった。
作者は南アキラという人。

飛弾国21代郡代に任ぜられた
小野朝右衛門高福の妻、磯が「郡代の妻」。
磯は、朝右衛門の三人目の妻。
もとは小野家の女中であったが、
朝右衛門に見初められた。
朝右衛門は59歳、磯は24歳。
子は4人あり、
長男は鉄太郎。
小説のほとんどは、この鉄太郎を
郡代と妻がどのように育てていったのかという話になっている。
もちろん、磯の母親としての教育が中心である。
さて、ここまで読んで、
気づいた方は、幕末の人物像に相当詳しい方だろう。
この小野鉄太郎は、
父母の死後、山岡家に養子として入り、
後には、山岡鉄舟と名乗った。
ぼくは何も知らなかったが、
最後のページで、
突然山岡鉄舟が現れるのでびっくり。
山岡鉄舟は、
高山で7年ほど過ごし、
将来の素地を磨いたということがよく分かった。
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「塔」11月号の時評を読んでいて、
遅まきながら、
「短歌研究」10月号の「作品季評」の
小池光さんの発言を知る。
当然、10月号を読む。
読んで、得心。
小池さんの意見に全面的に賛成。
対象はやすたけまりという人の
『ミドリツキノワ』という歌集について。
やすたけさんの短歌について、
小池さんは「57577詩」という定義をする。
57577の形式は守られているけれども、
短歌ではないから、
「詩」をプラスしたのだ。
確かにこのタイプの短歌は存在する。
ぼくが最も苦手な部類だ。
そういう歌集をいただくと、
すぐ閉じることにしている。
出会いをなかったことにする。
要するに、読者が念頭になくて、
自分が自分に向かっておしゃべりしているものということになる。
この辺りは小池さんの受け売り。
それで少し小池さんの発言を引用する。

「最近、若い人の作った歌集って、こういう
五七五七七詩といいたくなるようなものが
すごく多いんだけど、要するに、モノローグ
というか、読者とのコミュニケーションを
最初から拒否してしまっているような歌集
がいろいろあって、その典型にして、代表
的な歌集じゃないかなとというふうに思った。」

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五十路

2011/11/18

宮先生の歌にこんな歌がある。

・新しき年の霜踏み病むわれの五十路が残す二年ぞ愛(を)しき

『獨石馬』にある。
この歌の「五十路」は、どう考えても、
「五十代」という意味で使われている。
広辞苑を範とすれば誤用となる。
でも、宮先生にもこういう歌があるのだから、
「五十路」も、
「五十代」という意味も許容していいのでは。
歌語としての特殊な意味として認めていいのでは。
あまり辞書を盾にして、
論うというのもどうだろう。
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プロフィール

スズタケ

Author:スズタケ
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