「コスモス」の1968年4月号の
「二月号の十首」欄に、
河野さんの歌が採られている。

・続け様にマッチを擦りて息を吸ひ何をか君は言はむとしたり

選んだのは森美禰さん。
もちろん故人。
河野さんは、今回は自解を書いている。

「言ってはならないことを、言ってしまった。唇をふるわせな
がら、彼は怒っているような、かなしんでいるような眼をして
私を見つめた。そうして慌しくマッチを擦った。マッチの炎に
赤く照り翳る、てのひらの内側が、うつくしかった。次の瞬間
、吐き出される言葉を、私は待っていた。」

さてここで登場する「彼」は誰なのか。
自筆年譜によれば、前年に永田和宏さんに
会っているから、永田さんなのかな。
もちろん、確証はない。
松村さんに確認してもらうしかないかな。

ところで、4月号には昇級が発表されていて、
河野さんは「あすなろ集」に昇級している。
本来の実力なら、もっと早く昇級していてもいいのだろうが、
欠詠があったためだろう。
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3月24日の中日新聞の夕刊の
「詩歌への招待」欄に、
小島なおさんの「みなみかぜ」と題する7首が掲載されている。
その7首のうちの、最初と最後の歌を紹介する。

・われを産む以前の母が立っていたグラウンドに降る大粒の雹

・疲労して眠れる母へ本棚の歌集より毎夜蝶が降りくる

当然ここに登場する「母」は小島ゆかりさん。
小島さんが立っていたグラウンドとはどこのグラウンドなのか。
些細なことが気になる。
というのも、ゆかりさんが立っていたグラウンドに
なおさんが立つことがどうしてありうるのかと考えてしまうから。
早稲田大学のグラウンドなら、可能性があるのかな。
いくら何でも、旭丘高校のグランドではないと思うのだが。
まあ、これはいくら考えても分からない。
そもそも分からなくていい。
次に二首目の「蝶」は何の比喩なのだろう。
歌のヒントということなのだろうか。
こちらは分からないといけないと思うが、
分からない。
困ったものだ。
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「コスモス」の1967年4月号の
「二月号の十首」欄の
伊藤麟さんの歌について、
河野裕子さんの評が載せられている。
伊藤麟さんの歌はこの歌。

・医師の手の硝子瓶より水出でてわが眼を洗ふ師走さびしや

河野さんの評。

「四句目と五句目の間で意識が寸断されているようで、
「師走さびしや」という結句、面白いとは思ったが
やや唐突すぎる感じがした。上句をもう少しひき緊めて、
そのさびしさを具体的なものとされたら生きたのでは
ないかと思う。」

なかなか手厳しい評ですね。
河野さんは、この年21歳ですから、
やはり歌を読む力もすでに身につけていたんですね。
なお、河野さんのコスモス入会は、
1964年、18歳のときです。
そうそう、高野公彦さんも1964年入会です。
23歳のときです。

この当時のコスモスにすごい人たちがいたんですね。
因みに栗木京子さんの入会は、もう少しあとです。
これは、どうでもいいことですが、
ぼくの入会は、1973年です。
コスモスは、1960年代の後半から、
会員数がどんどん増えて、
1970年代後半には、
3000名を超えました。
あの勢いはいったい何だったのだろうと
いまさらながら思います。
宮柊二というリーダーのもつ力だったのでしょうか。





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3月17日

2012/03/17

いつもの喫茶店に行く。もちろんモーニング目当て。
しかし、この喫茶店が
27日で営業を終えると聞き、ショック。
ランチもよくこの店で食べていたので、
本当にショック。

11時前に蒲郡に向かう。
昼食後寄った書店で、
高田郁の「みをつくしシリーズ」の新刊を購入。
第7巻。
しかし、またショック。
次の巻は、一年後と書いてある。
これまでは年二回だったが、
1回休むとのこと。

14時より、
幸田の町民会館で、
野村万作、野村萬斎の狂言を見る。
これで2回目。
人間国宝の演技を見るというのは、めったにない機会。
感想は、
月並みだが、
とにかくプロはすごいに尽きる。
それにしても、野村万作さんも80歳を超えた。
次の回にも出てくれるのだろうか。
ちょっと心配。

17時半過ぎに帰宅。
慌ただしい一日だった。
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3月15日

2012/03/16

昼前に愛知県立図書館に入る。
朝日新聞の縮刷版の閲覧。
もちろん「朝日歌壇」。
驚いたことに、
昭和30年代後半では、
まだ歌壇と俳壇が隔週なのだ。
ということは、月に2回しかない。
それで、選に入るということは、
至難の技ということになるのでは。
2時間ほどで確認を終え、
必要なものはコピーをとる。
ついでに、
短歌関係の雑誌の閲覧できるものは
何があるのかなと思って探してみると、
「短歌」「短歌研究」「歌壇」の3誌。
結社誌は、
何と「コスモス」だけ。
かつては「アララギ」もあったはずだが。

図書館を出て、
中日新聞社の文化事業部へ行く。
担当の方に書類を渡すだけ。
ところが、
3年ほど面倒をみていただいた担当者が、
配置換えでかわるとのこと。
ということで、
4月からは、新しい担当者になる。

久しぶりに駅前のジュンク堂へ行く。
伊坂幸太郎のエッセイ集と
文庫本を3冊購入
そのうちの2冊は、
東直子さんの本。

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私が最も信頼していた日本の思想家、
吉本隆明が亡くなった。
合掌。

遂にと言うべきか。
父と同じ大正13年生まれ。
まもなく米寿になろうという年令だ。
せんだっても、
よしもとばななが
「文藝春秋」の臨時増刊号で書いているが、
かなり以前のことなのだが、
伊豆で溺れかけたことが、
寿命を縮めたのだろう。
私の父も、梯子から落ちて、
大手術をしたが、
そのことが今の父を弱らせているのではと思う。
それでも歩いてコンビニに行ける元気さはある。

それにしても、
吉本のいない日本とは何なのだろう。
五里霧中には違いないが、
この状態はどこまで続くか。
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3月13日

2012/03/14

蒲郡の短歌大会の選を午前中に終えて、
郵便局で投函。
その後、「歌誌漂流」の原稿を書き始める。
難渋しつつ、何とか八割程度書く。

3時から昨日見逃した「NHK短歌」を見る。
ゲストが柏崎さんだから。
柏崎さん、少し緊張していたようだ。
ぼくも永田和宏さんに
呼んでいただいたことがあったが、
やはり緊張しましたね。
何せぶっつけ本番ですから。
それと気になったのは、
どうも化粧がきついような感じがした。
まあ、でも柏崎さんの声を聴けたから、
よしとしよう。
本当に心があたたまる声で、
いつもいいなあと思う。
「桟橋」の批評会で、
柏崎さんも出席していると、
もうけたなあという気がする。

「塔」3月号が届く。
「編集後記」で
永田和宏さんが、
河野裕子短歌賞について書いている。
産経新聞社主催。
テーマが決まっている。
「家族の歌」および「恋の歌愛の歌」。
選者は、永田さんの他に、
俵万智さんと阿木燿子さん。
「短歌時評」は、川本千栄さんが書いている。
渡英子さんの『メロディアの笛』と
高野さんのラジオの番組について書いている。
ただ川本三郎さんの『白秋望景』については触れていない。
多分原稿の締切に間に合わなかったのだろう。
松村正直さんの「銀月アパート物語」の後編が掲載されている。
鈴木定雄さんに触れた箇所があって嬉しい。

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往時茫々

2012/03/13

「プチ★モンド」76号が届く。
20周年記念号。
1992年の春、創刊号が出た。
なぜこの年に、
松平盟子さんは、雑誌を出すことになったのか。
巻頭の文章に、こう書いている。

「前年に所属していた結社を退き、作品発表の場や
ともに短歌を学ぶ仲間が少なくなったことが私の
背中を押したといえるでしょう。」

所属していた結社は、もちろん「コスモス」。
退会に到る経過については、
間接的にしか知らない。
本人から聞いたような気もするが、
覚えていない。
20年というのは、それだけの歳月だ。
ただ当時の印象では、
このままでは松平さんは「コスモス」にいることは
難しいだろうとは思っていた。
「旅の記憶」20首の中に、こんな歌を見つけた。
まさに往時茫々である。

・のんびりと単線電車にのりながら真冬の海の町を娘とゆく
・娘の胸に赤子あること刻印のごとき重量もちてなお生きよ

この娘さんのことを覚えているのは、
ぼくくらいではなかろうか。
世田谷の奥沢にある家に何度かお邪魔した。
独身で金銭的に余裕がなくて
泊めてもらった。
娘さんの名前は、翼。
ぼくにとっては、「つばさちゃん」だった。
弟さんの「しょうくん」はどうしているのだろう。
「しょうくん」ももう結婚したのかなあ。
「単線電車」は、
蒲郡から西浦へ向かう名鉄電車。
ということは、娘さんは、この沿線に住んでいるのかな。

本当にこんなふうに、
過去が目の前に浮かび上がってくる。
この20年、
それぞれが、
目の前のことに精一杯だった。
過去は過去でしかなく、
取り戻すことはない。
あの奥沢の家ももうないだろう。
借りていた家だが、
持ち主が寛大な人であったようだ。
大きな家だった。
だから、泊めてもらうのも、
そんなに遠慮がいらなかったのだろう。
まさに、
往時茫々。

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応答

2012/03/07

先日「コスモス」3月号の歌について、
何人かの歌を紹介しましたが、
その中の三浦さんからお葉書をいただいた。
ご本人は、インターネットを利用する
環境ではいらっしゃらないので、
ご友人からの連絡で知ったということでした。
ありがたいことです。
三浦さんのお葉書には、
かつて、三浦さん、弘中さん、そして私の三人で、
「コスモス」の「展望」欄を担当したことが
書いてありましたが、
そうだ、そんな時期があったなあと今更ながらに思い出しています。
「展望」の担当には今年から復帰しましたが、
老兵としては、うまく引き継ぎができないかなあと
今から考えています。
「展望」は、
本の紹介欄とともに、
「コスモス」から外部へ発信するところなので、
重要な欄です。
でも、力を蓄えつつある若手が
何人かはいるはずと、
今のところ楽観的ではあります。

そう言えば、三月号のことでは、
水上芙季さんからもメールをいただきました。
水上さんはまさに新進気鋭で、
「展望」担当者の一人となりました。

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3月1日に、
「路上」122号が届く。
少し早いなあと思って、
あとがきとも言える
「ゆきしろ庵雑報」を見ると、
理由が分かった。
これからは、3月、7月、11月の
発送にされるとのこと。
確かにこの方が円滑に発送できそうだ。

招待席の欄を見て驚く。
「コスモス」「棧橋」の仲間の
斉藤梢さんの「まないた」10首が掲載されている。
何首か紹介する。

・すり傷にちちんぷいぷいしてくれた婆ちやん爺ちやん攫はれていつた

・大根の白肌をふと思ひゐるかもしれぬなり瓦礫の俎板

・青になにが足されてあの日のあの色か未だにわれに付き纏ふ黒

・「被災地」と「被災者」と呼ばれ続けゐることの悲圧を誰も言はない

・いちにちも欠かすことなく夜は来て昨日と同じカーテン閉ぢる

四首目の「悲圧」という言葉を前にして
考え込まざるをえない。
実は、ぼくはまだ、
3月11日以降、自分の生き方が、
何だかうすらぼんやりしたままでいる。
古語の助動詞で言えば、
どうも「べし」は使えなくなってしまった。
と言って「む」なのだろうか。
「む」だとしても、
せいぜい婉曲の「む」というのが、
今のぼくの実態に一番近い気がする。

佐藤通雅さんの連載「宮柊二」が今回で終了となる。
『群鶏』までになる。
多分、これから一冊になると思うが、
待ち遠しい。
コスモスの仲間達には、ぜひ読んでもらいたい。
ただ、佐藤さんは、
『山西省』について書きたくて、
「宮柊二」を書き始めのだから、
さらにこの連載は続くことになる。
でも、大震災が別のスイッチを押してしまったから、
佐藤さんが、
『山西省』について書き始めるのは、
もう少し先になりそうな気がする。

なんと佐藤さんは、
4月1日に、
仙台文学館でのイベントを企画し、
実行に移してしまったのだ。
スイッチが入った佐藤さんは本当にすごいと思う。


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