火星の庭

2012/06/26

大口玲子さんの第四歌集『トリサンナイタ』(角川書店)が届く。
こんな歌を見つけた。

・一時間六百円で子を預け火星の庭で本が読みたし

別にシュールな歌ではないが、
知らない人にはシュールな歌なのかもしれない。
「火星の庭」とは何か。
仙台市青葉区にある
ブックカフェの名前である。
古書店兼喫茶店である。
ぼくも一度行って、
コーヒーを飲み、本を買ったことがある。
もちろん震災前で、もう6年ほど前になるかな。
また行きたい店である。
こんな歌もある。

・帰省してわが多摩川を見せやれば子はよろこびてヒロセガワと言ふ

仙台に育った子なら、
大きな川は広瀬川しかないだろう。
さて、この子は、
今後広瀬川を見ることはあるのだろうか。
ご主人は仙台在住だが、
大口さんと息子さんは、
今は宮崎にいる。
俵万智さんが
石垣島にいるのと同じ理由だ。

この歌集の第三章は、震災後の歌である。

・水、電気、ガス止まりたるを言ふわれに「津波と原発」と夫は苛立つ

・被災地とはここなのかわれは被災地に居るのか真闇にラジオ聴きつつ

・食べ物を探してくると夫は出かけめんつゆの一本を買ひ戻りたり

・許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ

・ゆく春の東北よここで生まれたるわが息子を覚えてゐてくれよ

・家が無事なのに仙台を離れたといふやましさをぽちりともらす


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『地津震波』の続きを挙げる。
なおこの歌集はもちろん自家版。
プリンターで印刷してホチキスでとめたもの。
佐藤さんの家は女川町にあった。
女川では高台にある家であったのに流されてしまった。
現在は仙台市太白区に。

・たまさかに高笑ひすれど眠剤に夜夜を縋れる妻の小さし

・血縁の九体いまだ浮かび来ず津波後十日の湾凪ぎたれど

・過去持たぬ一人の我を証明する紙一枚をおし頂きぬ

・頻脈に苦しむ妻を遠くより見さだめてをり余震のたびに

・睡眠剤飲んで四時間眠らせた体にしみる今朝の味噌汁

・「がんばるな」子らの電話のいくたびか頑張るしかない避難所暮らし

・浮かび来る遺体を捜す船いくつ鏡なす湾を左へ右へ

・着のままの身を伏せたれど眠り来ず三週湯浴みを知らぬからだに

・弥生末のもどりの寒さ耐へがたし千の死体のある町の朝

・愛でなし義務ですらなし義姉の遺体探すと歩く二十日経てまた

こうして書き写していて、
何かが自分のなかに生まれるものだろうかと
疑問に思いつつ
なおこうして書き写すしかないと
思い定めている。
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音短歌会の佐藤成晃さんから震災歌集『地津震波』が届く。
読み始めて、言葉が出なくなる。
評価するということが不可能な気がする。
だから、歌を挙げてゆくしかない。

・走れよと妻の背中を突き出してつんのめつた手で津波を掴む

・子や親に無事を伝ふる手だてなし伝言頼む人探し歩く

・常備薬持たで逃げきて避難所の冷たき床に眠るもならず

・生存を伝ふる手立て無き我は死なされてゐむ  死んでたまるか

・避難所の毛布の中にたまさかに触れしは妻の足か犬を隔てて

・歌詠むにうつつ抜かすと言はれても詠むべし三十一字の現実

今日はここまで。
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誤植

2012/06/19

佐藤通雅さんのブログ「往還集」を読むと、
「路上」に連載した宮柊二論を一冊にして
「柊二初期および『群鶏』論」として出されるとのこと。
出版社は、宮柊二についての本を出すからということで、
柊書房とのこと。
で、本題はここから。
佐藤さんがブログで書いていたのは、
著者校正が終わったが、
これまでに都合4回見なおしたが、
それでも、誤植があったということ。
完璧ということはないという慨嘆。

「コスモス」7月号の
影山一男さんの歌にこんな歌がある。

・一年に一回は来る負の連鎖 誤植の文字がひとつ光れり
・眠られぬ夜がまた続く一ヵ所のミスの出でたる歌集を思ひ

もちろん、影山さんは、
柊書房の店主。
誤植というものが、
これほどに苦しい思いをもたらすのだ。
プロの心構えということだろう。

ぼくは、なぜか誤植を見つけるのが得意で、
岩波書店やみすず書房の本でも見つけてしまう。
一度岩波に指摘の葉書を送ったが、
儀礼的な葉書をもらっただけ。
それ以来気づいてもそのままにしておく。
岩波でさえその程度なのだから、
後は知れているという思いだった。
それでも、こうして佐藤さんの思いや
影山さんの思いに触れてみると、
やはりそのままにしておいてはいけないかなと思う。
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6月10日

2012/06/10

今日は6月10日。
以前は、時の記念日ということで、
ニュースにもよく関連する行事が放送されていたが、
その手のニュースは見なかった。
と言っても午後7時のニュース以外はきちんと見ていないが。

ところで、
昨日は、塚本邦雄の命日。
平成17年の6月9日に塚本は亡くなった。
もう、7年が経つ。
塚本は、ある時期には規範として存在した。
今、そのような歌人はいない。
ということは、何でもありということだ。
もっと言えば、
どんどん緩んでいくしかない。
岡井さんあたりは、そのことに気づいて、
それはもう必然と考えているのだろう。
緩んだ果てに何があらわれるのか。

「塔」6月号が届いた。
田中拓也さんの『雲鳥』の歌集評が掲載されているが、
どうも田中さんの結社名が違うと思うのだが。
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6月8日

2012/06/08

本日東海地方も梅雨入り。

今日は淑徳の長久手キャンパス。
宮先生の歌を1時間強話し、
後は、前衛短歌についての導入。
永井祐さんの歌集の歌を紹介しつつ、
こういう歌が、
今詠まれることが可能になったのは、
前衛短歌の時代があったからだということを力説。
もちろん、俵さん、穂村さんの歌も
そうだろう。
ところで、永井さんの
「おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている」
という歌に反応する学生がいたので、
理由を聞いたら、
何と西友でバイトをしているとのこと。
御器所店。
ふーんというのがぼくの感想。
ついでに西友の裏口がどうなっているのか
聞いてしまった自分に呆れている。
ついでに時給も。

帰途、例によって、
らくだ書店に寄る。

3時過ぎに刈谷北高校へ。
図書館へ行き、しばし歓談。

しかし、高校という現場を久しぶりに訪れて、
やはりもうこのスピードにはついていけないなと
実感。

夕刻より雨。
そんなに強くない。
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なぜか佐伯一麦の『遠き山に日は落ちて』(集英社文庫)を
読み始めた。二度目かな。
こういう小説を書く作家は、佐伯しかいない。
私小説に分類されるが、
どうもそういう分類はどうでもいい気がする。
とにかく一頁目から、
その小説世界に入っていけるのだ。
この本では、
まだ佐伯の父親は元気だし、
別れた妻との子供の末っ子も小学二年生だ。
『鉄塔家族』では、
この末っ子が自分の生き方に悩む若者として登場する。
誰もがひたむきに生きている。
そういう世界だけを佐伯は書いている。
もちろんいいかげんな、
駄目な人間も佐伯の回りにいるはずだが、
そういう人間はほとんど出てこない。
一人一人のひたむきさに向き合うことができるのが、
佐伯の小説の魅力なのだ。

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斎藤孝の『理想の国語教科書 決定版』が出た。
短歌では、どの作品が選ばれているかなと思ったが、
何と河野裕子さんと永田和宏さんの作品。
河野さんの歌は、
亡くなる前日に口述筆記された4首。
永田さんの歌は、挽歌6首。
他に永田さんのエッセイ。

短歌という器が、
人の思いを伝えるものだということが、
お二人の歌と永田さんのエッセイから
読み取ってもらえるはずだ。
この本を読んで、
短歌の世界に入ってみようかなと思う人が
一人でもいたらいいなと思う。
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6月3日

2012/06/03

締切の波が押し寄せているのに、
小説を読んでいる。
というより、原稿を書きつつ小説を読んでいる。
三木卓の『K』を読み終えた。
三木もまもなく喜寿になる。
読んでいて、どうにも暗くなる。
カタルシスとは無縁の小説なのだが、
読み終えてしまった。
小説家の業というものが
このような小説を書かせたのだろう。
しばらくこの手の小説は読まないことにした。
次は、堀江敏幸の新刊を読むことにしている。
でも、これから
本格的に締切の波が迫ってくるのだ。
ついでに、台風も日本列島をうかがっている。
どうなることやら。


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