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内山晶太さんの第一歌集『窓、その他』(六花書林)の
印象を一言で言えば、恐ろしい歌集ということになる。
このことを説明しても、詮無いことなので、
具体例を挙げる。
「割れもの」一連である。
まず冒頭の歌。

・ただよえる花ひとつずつ享け止めつしめやかにして水を病む河

下句実にいいですね。でも、花はどうなるのか。
水を病んでいる河に放たれた花の運命は。
内山くんの歌で、一つだけ不満がある。
内山くんの歌は、歴史的仮名遣いの歌である。
「ただよへる」だったら本当によかったのに。
山田航くんの歌は現代仮名遣いの歌であると思うが、
なぜか歴史的仮名遣いである。
二首目の歌。

・目覚ましを掛けずに眠りゆくことの至福よふかいところまでゆく

まあ、この歌は普通にいい歌。
三首目の歌。

・街川の面(おもて)ひしめくはなびらの舟におぼれて死魚すすみゆく

まさに恐ろしい歌。はなびらの密集した川の面に死んだ魚が浮かんでいるのだ。
しかもこの一団はすすんでいるのだ。
どこへ。
四首目。

・陶製のつめたき馬の首すじに雨すべるさえとおき抱擁

もう絶唱としか言いようがないでしよう。
でも「とほき抱擁」がいいなあ。
五首目。

・なんという日々の小さき抱擁をあるいは生の限界として

この歌も普通にいい歌。
六首目の歌。

・自涜にも準備があるということの水のくらやみ蓮咲(ひら)きおり

これはすごい歌だ。塚本邦雄に読んでもらいたかった歌だ。
あるいは春日井建に。
とにかく下句がいい。
七首目の歌。

・空中をしずみてゆけるさくら花ひいふうみいよいつ無に還る

結句はちょっとお遊び的なところはあるが、
こういう余裕もいい。
八首目、九首目の歌を挙げる。これで一連は終わる。

・割れものの春ようやくに割れてゆく桜花の怒りはてしなき夜を
・気づかれぬよう剥がれたるはなびらは眼窩のごとき壺に降りたり

「桜花の怒り」というのはいいですね。
九首目の下句も実にいい。
とにかく、
この歌集のすごさは読んでもらうしかありませんね。
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島田の歌会

2012/09/23

コスモスの静岡の支部の短歌大会が
島田であるので出かける。
逢妻から島田まで鈍行で行く。
実に懐かしい。
大学が静岡だったから、
行き来はいつも鈍行だった。
新幹線を使えるようなお金の持ち合わせはなかった。
愛野なんて駅があって驚く。
昔はなかったなあ。
島田の先に六合なんて駅もあるが、
こちらも知らないなあ。

講師は、高野公彦さん。
島田の改札口を出たら、
ちょうど高野さんも着いたところだった。
高野さんは、静岡まで新幹線。
迎えに来られた小田部さんの車で、
一緒に会場まで送っていただく。
雨だったのでありがたかった。
1時開会だったが、
わが愛知支部の他のメンバーの到着が遅れたこともあって、
少し遅れて始まる。
詠草は86首。
一人2首だから、
実人数は、43名ということになる。
若干の欠席はあったようだ。
1時半前から、
歌評が3時間。
途中10分の休憩はあったが、
高野さんは実にタフだ。
ほとんど同じペースでこなしてゆく。
古稀を越して、この元気さにには、驚くしかない。

高野さんのコメントを少し紹介。

・半月もたゆげに移る夏の夜こごり豆腐を三角に切る

この歌についてのコメント。
「も」は一生で3回使うもの。

・赤々のトマト採らせてあげたいとあした帰省の子を夫は待つ

「人情の世界は詠まない。」
「宮先生も嫌った。」

・晩酌時よく出ることば今宵またおれより先に逝くなと夫は

「こういう歌は、もう150首ほど見た。」
「年に10万首ほど見ているから、
150では済まないかな。」

・祭礼の馳走の中の一番は昔懐かしき茹でたての蟹

「「昔」が駄目。」
「「今は亡き」と言うアナウンサーがいるが、
馬鹿としか言いようがない。「今は」はいらない。」

・父八才母を二十才に失いしなんと有難き今の米寿は

「父を八才」としなくてはいけない。
対句は揃えないといけない。
「おじいさんは山に芝刈りに
おばあさんは川に洗濯に」であって
「じじいは山に芝刈りに
「おばあさんは川に洗濯に」とはならない。

一応代表的なコメントを上げました。
対句のところは、用例はぼくの脚色が入っています。
その他に、
一般論は駄目、
決まり文句も駄目、
それから、
これはちょっと分かりにくいが、
「俗」なのは駄目、
というコメントもありました。

ついでにぼくの歌。

・さまよへる堕天使のため緑濃き苑の奥処に四阿建ちぬ

高野さんには評価していただけました。
「堕天使」が何を指すかですが、
高野さんは、しっかりぼくの意図を汲んでくれました。
ただ「四阿」はルビをうったほうがよいとのことでした。


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「短歌研究」10月号の
「作品季評」における黒木三千代さんの
大島史洋歌集『遠く離れて』の作品に対する
発言には違和感を覚えた。
まず大島さんの作品についてこんな発言があった。

「私、女の人にはあんまりファンはいないのではないかと
思います。真善美の「美」が少ないんだと思う。」

「それから韻律に甘みもないでしょう。」

「音楽性もないでしょう。(以下略)」

まさにないない尽くし。
違和感を覚えたのは、
黒木さんは「未来」に所属しているのに、
同じ「未来」の会員である大島さんについて、
こんなことを言ってしまっていいのということ。
「未来」は、自由な結社だから、
会員について、どんな発言も許されるのかもしれない。
でも、なんだかなあというのがぼくの思い。
それから、「女の人にはあんまりファンはいない」というのが、
本当かしらということ。
ぼくの知り合いの女性に、大島選歌欄の方がいるが、
大島選歌欄の方が集まる会があって、
たくさんの人が集まると聞いている。
ひょっとして、たくさん集まった中で、
ぼくの知り合いの方が唯一の女性で
あとはみんな男性なのかしら。

ついでにもう一つ。
大島さんの作品の「定年を過ぎて故郷の家にあり入園を愚図りし日もこの家」
についての解釈は、黒木さんの解釈が正しいと思う。
小池さんは、
お母さんが老人ホームなどに入ることを拒んだ歌と解釈していたようだが。
確かに黒木さんが言うように
分かりにくい歌もあるが、
大島さんは、
読者へのサービスという発想がないから、
読む側がためされていると思って
読むべきでしょう。
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「短歌研究」10月号の
評論賞の選考会の記録を見ていたら、
大島史洋氏の発言の中に、
なぜかぼくの名前が出ていてびっくり。
「塔」の吉田淳美さんの評論が
候補作になっていて、
その選評の中で、
吉田さんが引用したぼくの文章についての
意見だったのだ。
要するに『孤独なる歌人論』が引用されていて、
それに対して、もの申すということになったわけだ。
ぼくとしては、
こういうこともあるんだなあと思った次第。
それにしても、
吉田さんの最近の頑張りぶりには驚いています。
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後期開始

2012/09/20

外大は、今日が後期開始の日。
刊行委員会が10時からあるので、
まずはそちらに行き、
その後外大へ。
私のクラスは、二つとも欠席なし。
しかし、課題をやり終えた者が少ない
雰囲気がみなぎっていた。
二ヶ月近くあった夏休みに、
彼らは何をやっていたのだろうか。

刈谷北のOさんに会う。
フェイスブックの話題になる。
何が何だか分からぬうちに、
フェイスブックに登録したところ、
どうもとんでもないことになってきた。
まあ、そういうものなのかなあ。

淑徳の後期は、来週から。
新しい講義が始まる予定だが、
さて、どうなることやら。

腰のほうは、今いち。
日にち薬なのかなあ。


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『武川忠一全歌集』(角川書店)が届く。
発行日は8月25日。
既刊の7冊の歌集及び、
『翔影』以後の発表作品約3000首も収載。
ということは、既刊歌集に
さらに歌集6冊分くらいが加わったわけだ。
圧巻は、初句索引。
相当の時間がかかっているはずだ。
ただ歌集の解題は掲載されていない。
何らかの理由があるのだろう。
とにかく、この秋、
じっくり読んでみたい一冊である。
そう言えば、
宮地伸一の全歌集も出た。
こちらは、
武川さんの歌とは全く違うタイプの歌だが。
でも、読んでみたい気はする。
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毎日文化センターの日。
名鉄のメンズ館10階に移転して、最初の講座。
以前の大名古屋ビルヂングは、
10月以降取り壊して、
新たなビルを建てる計画になっている。
今日は、見学者が二人。
お一人は、
何とラジオのパーソナリティーをされている方。
多分、番組に活用できるものはないかと
意欲的に見学されているようだ。
教室も新しくなって、
以前よりも快適であることは間違いない。
終了後、
18階でランチ。

腰のほうは、快復しつつある。
もちろん完全でない。
今日の講座は、
90分立ちっぱなしで行う。
この方が楽だった。
しかし、さすがに家に着くとぐったり。
とにかく名古屋へ出かけることができるようになったので
まあ、よしとしよう。
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「塔」9月号の「誌面時評」を読んでいかがなものかと思った。
執筆者は紀水章生という人。
「塔」7月号の誌面について書いている。
内容については特に問題はない。
しっかり書いている。
では、何がいかがなものか、というと、
言葉遣い。
私の最も嫌いな言葉遣いを発見。
時評の文章に、
こういう言葉遣いは、
いかがなものかと思った次第。
では、その箇所。

「わたし的に一番好みだなと思ったのは、」

「わたし的」はいけない。
ホームルーム日誌なら許せるが、
「塔」の「誌面時評」ではまずいでしょ。
それとも、こんなことを書いている私は、
もう相当古いタイプの人間なのかなあ。
私が書くなら、
「私が最も優れていると思ったのは」
と書きますが。

それにしても、何かいちゃもんつけているような気がしてくる。
これもそれも腰が痛いせいかな。
とにかく身動きがとれない。
今日も本当は名古屋に行く用事があったが、
名古屋はバリアフリーの遅れている街なので、
断念した。
無理をして、16,17日の大事な
行事に出席できなくなったら、
それこそえらいことです。



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「プチ・モンド」78号の巻頭の
松平盟子さんの評論を読んで、仰天。
何と吉川宏志さんの新歌集が『麦秋』になっている。
一瞬、吉川さんがもう一冊人知れず
歌集を出したのかなと思ったくらい。
とにかく勘違いなのだが、
それにしてもすべて『麦秋』になっているというのは
いくら何でも。
勘違いというより思いこみなのだろうが、
吉川さんが、そんな「麦秋」などという
月並みな歌集名は付けないでしょ、
松平さん。
『燕麦』ですよ。

腰痛でメールを書くのも億劫になっていたが、
いくら何でもと思い書いた次第。
それにしても、
この腰痛というのは、何とかならないものかね。
ああ、痛い。

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更新できず

2012/09/03

更新しようとは思っていたが、
前半は物理的にできず、
後半は気分という手強いものに邪魔をされて何ともならなかった。
やらなければならないことがたくさんあって、
それが一向に進まないとどんどん落ち込んでくるということが
実感としてよく分かった。

大島史洋さんの新刊『アララギの人々』を読んでいる。
面白い。
面白いのは、とりあげたアララギの歌人
が面白いというのではない。
面白いのは、大島さんの文章。
いわゆる評論の文章ではない。
だから、切れがない。
切れがなくても面白いのは、
大島さんの持っているのがなまくら包丁で、
その包丁は何とも切れが悪いのだが、
そんなことは知ったことではないというふうに
切っているところが実に面白い。
しかも、評論だと、
それなりに決まった台詞が
最後のほうに登場するものだが、
そんな台詞は一向に出てこない。
それがまた面白い。
この面白さにはまってしまうと
かなりヤバイのではと真剣に思ってしまう。
それで、大島さんが面白いというから、
宮地伸一の歌集まで、
書庫から引っ張り出して読み始めてしまった。
やらなくてはならないことは、
全然減らないのに。
いやはやどうなることやら。
それでもこうして書き始めたのは
きっといい兆候だと思う。

支部の方の歌を読んでいたら、
こんな歌に出くわした。

・近隣の人らに心配かけぬ様雨戸の開け閉め時を違へず

こういう生き方ができる人はすごいと思う。
生きることを全面的に肯定している。
80歳になられたが、
とにかく毎日やりたいことがあり過ぎて
時間が足らないとのこと。
うーん、うじうじしている自分が
本当になさけない。


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プロフィール

スズタケ

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