歌の縁
2014/02/01
1月25日に行われた第四回中日短歌大賞の授賞式後の懇親会で、
『五六川』で受賞した小林峯夫さんと話をしていて、とても驚いた。
何と小林さんの第一歌集の歌を、かつて高野さんが評論をとりあげ
ていたとのこと。
その評論の題名を伺っていて、さらにびっくり。
評論の題は「こひねがふ国御座なく候」なのだから。
高野さんの第一評論集『地球時計の瞑想』で3番目に
入れられている評論だ。この評論は熟読した覚えがある。
しかし、この評論に登場する小林峯夫という歌人と、今回受賞した
小林峯夫さんとが、まったく結びつかなかった。
小林さんは『地球時計の瞑想』のことは知らないとおっしゃるので、
家に帰って調べてみると、この評論の初出は『現代短歌’72』。
この本を高野さんは、小林さんに送ったのだろう。
ただ小林さんは非常に悔やんでいらっしゃったが、
高野さんには、礼状等は一切出されなかったとのこと。
もし、出されていたら、ぼくなどはとっくに小林峯夫という歌人
の存在を高野さんから教えていただいていたはずだから。
さて、「こひねがふ国御座なく候」で取り上げられた歌は、
小林さんの第一歌集『はばき』に収められた連作「宝暦挽歌」中の
一首「死するか狂はすはいまの世にわれらこひねかふ国御座なく候」
である。意識的に濁点が省いてある。高野さんはこう表記している。
「死するか狂はずは今の世に我ら希(こひねが)ふ国御座なく候」。
評論の表題にこの歌を選んだのだから、よほど高野さんはこの歌に
感銘を受けたのであろう。
ところで、この評論を読み返していたら、佐藤通雅さんの
「幼子はいたく笑いぬ夜の淵にありて白桃食べおえしとき」が
取り上げられているではないか。
ぼくが初めて短歌関係の評論を書いたのは佐藤さんについての論であり、
しかも、この歌を冒頭において論を書き進めている。
つまり、高野さんのこの評論が、ぼくが短歌評論を
本格的に書き始めるきっかけとなったのだ。
たまたま小林峯夫さんと話をしたことがきっかけで、
ぼく自身の原点にまで遡ることができたというのは、
本当に不思議でならない。
きっと歌の縁ということであろう。
『五六川』で受賞した小林峯夫さんと話をしていて、とても驚いた。
何と小林さんの第一歌集の歌を、かつて高野さんが評論をとりあげ
ていたとのこと。
その評論の題名を伺っていて、さらにびっくり。
評論の題は「こひねがふ国御座なく候」なのだから。
高野さんの第一評論集『地球時計の瞑想』で3番目に
入れられている評論だ。この評論は熟読した覚えがある。
しかし、この評論に登場する小林峯夫という歌人と、今回受賞した
小林峯夫さんとが、まったく結びつかなかった。
小林さんは『地球時計の瞑想』のことは知らないとおっしゃるので、
家に帰って調べてみると、この評論の初出は『現代短歌’72』。
この本を高野さんは、小林さんに送ったのだろう。
ただ小林さんは非常に悔やんでいらっしゃったが、
高野さんには、礼状等は一切出されなかったとのこと。
もし、出されていたら、ぼくなどはとっくに小林峯夫という歌人
の存在を高野さんから教えていただいていたはずだから。
さて、「こひねがふ国御座なく候」で取り上げられた歌は、
小林さんの第一歌集『はばき』に収められた連作「宝暦挽歌」中の
一首「死するか狂はすはいまの世にわれらこひねかふ国御座なく候」
である。意識的に濁点が省いてある。高野さんはこう表記している。
「死するか狂はずは今の世に我ら希(こひねが)ふ国御座なく候」。
評論の表題にこの歌を選んだのだから、よほど高野さんはこの歌に
感銘を受けたのであろう。
ところで、この評論を読み返していたら、佐藤通雅さんの
「幼子はいたく笑いぬ夜の淵にありて白桃食べおえしとき」が
取り上げられているではないか。
ぼくが初めて短歌関係の評論を書いたのは佐藤さんについての論であり、
しかも、この歌を冒頭において論を書き進めている。
つまり、高野さんのこの評論が、ぼくが短歌評論を
本格的に書き始めるきっかけとなったのだ。
たまたま小林峯夫さんと話をしたことがきっかけで、
ぼく自身の原点にまで遡ることができたというのは、
本当に不思議でならない。
きっと歌の縁ということであろう。