「棧橋」120号のアンケートは、

「特別アンケート」ということで、
「思い出の自作一首」を挙げてコメントするというもの。
そのアンケートで柏崎さんは、
第1号の表紙に印刷された歌を挙げている。

・坂上の岐れみちにて少女二人何か話せり傘かたむけて

表紙の歌は、初めは二人、後に三人となる。
第一号は柏崎さんと小島ゆかりさん。
小島さんの歌はこの歌。

・花を挿すグラス曇りてわが内に昏く発酵する言葉あり

さて、それでは、ぼくの歌は、表紙になったことはあるのかと
探してみると、あった。
何と巻頭の24首がぼくの歌だった。
この11号の表紙に3人の歌がある。
ぼくの歌はこんな歌。
この号の批評会では、24首の総評として古風だと指摘された。

・妻と子を率て行く我の哀しみは簡明にして喘息といふ

確かに古風ですね。
あと二人は、すでに「棧橋」の同人をやめています。
一人は、いったい今どこにいるのやら。
一人は何とかコスモスに踏みとどまっています。
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今日「棧橋」120号が届いた。
つまり、終刊号が遂に届いたということになります。
まさに感慨も一入というところです。
7号から参加しているから、
28年になります。
欠詠はありません。
批評会には何回参加したのかなあ。
116回のうち、30回は参加していると思うが、
丁寧に記録をとっていないので、確認できません。

「「棧橋」の三十年」というテーマで何人か書いていますが、
ぼくも「私の学校」という題で書きました。
もちろん「棧橋」が「私の学校」です。
ロシアの革命家レーニンがかつて
革命運動の渦中で投獄されていた日々を
「私の学校」と言ったように記憶しているので、
使わせてもらいました。
この文章にも書きましたが、
「棧橋」のメンバーに入ることがなかったら、
ぼくは短歌を続けてはいなかったと思います。
「コスモス」入会後も欠詠ばかりでした。
20代後半になって、松平盟子さんがあらわれてから、
誘われるがままに、いわゆる歌壇というところにも
顔を出し始めていましたが、
歌を詠むことにはそれほど熱心ではないままでした。
だから、
「棧橋」入会を勧める手紙が高野さんから、
来なければ、
ぼくは今ごろ毎日暇で暇で、
困っていたのではないかと思います。
それが実際はもう毎日原稿を書くのに追われている
という状況になってしまっているのですから。
本当にあの手紙がぼくの人生を大きく変えたと
言わざるをえません。
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「棧橋」41号を見つけたついでに、少し数字を追ってみた。
41号の同人数が63名。
そして、この中で現在も同人を続けているのは、
35名。
ということは、何と28名が何らかの理由で
脱落していったのだ。
何と4割強だ。
歌を続けることの難しさをつくづく思う。
ただこの中には、
「コスモス」の会員を続けている人はいる。
しかし、せっかく「棧橋」という、
発表の場を得たのにもかかかわらず、
自ら放棄してゆくのは、
ぼくのようなものには、もったいない気がする。
地方にいて、東京へ出かけて、
いろいろな刺激を受けることができるのだから、
こんなに素晴らしい勉強の場はないと思う。
多分、ここのところの考え方が、
違っているのだろう。
何かを続けていくためには、
何より謙虚さが必要だと思う。
選歌が気に入らず、結社を転々とする人がいるが、
こういう人に欠けているのは、
謙虚さである。
そして、こういう人が持っているのは、
他者からすれば理解しがたい自負心である。
謙虚に他者の忠告を受け入れ、
謙虚に自分の歌の至らなさに思いを致すことが、
歌を続けるために一番大切なことだと
いまさらながらに思う。

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書庫を少し整理していて、「棧橋」41号が目にとまった。
というのも、
小高賢さんが、
柏崎驍二さんの歌集『月白』の評を書いているのを見つけたから。
因みに41号の発行日は、1995年1月。
もう20年近く前。
小高さんはまとめのところでこんなことを書いている。

「短歌をつくりつづけるということは、自分の生き方を確認
する行為である。と同時に、先輩のあとをついていくことで
もあろう。そんな当たり前のことの大事さを、『月白』をくり
かえし読むことによって、さらに私は確認したのである。」

近頃の若い短歌をしている人たちは、
この「先輩のあとをついていくこと」が
どういうことなのか分からないようだ。
だから、結社に入らない。
「己」が可愛くて仕方ないのだろうか。
「先輩のあと」についていくことは、
「己」を押さえることも必要なのだが、
多分、今の若い短歌をしている人たちはできないのだろう。
しかし、できない人は、結局短歌をしていても、
短歌は詠めないだろう。
今年の夏、加藤治郎さんと話をしていたときにも、同じ話題になった。
治郎さんも若い短歌をしている人たちが、
結社に入らないことを憂えていた。
ところで、
41号の「編集後記」で高野さんが書いている。
高野さんにこういうことを書かれると、
ぼくらはいったいどうしたらいいのだろう。

「歌が出来ないといふことは、苦しいことである。私も時をり
その苦しみを味はふ。もしかすると、このまま永久に歌が作
れないのではないか、と思ふ。しかし、「歌が出来ない時間
」をやりすごすと゜、また少し歌が出来るやうになる。ガマン
しか無い。」

「ガマンしか無い」んだ。
うーん。



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「歌壇」11月号で、こんな歌を見つけた。
梅内美華子さんの歌。

・小高さん編みしアンソロジー本棚に戻すとき闇の角度深まる

この歌を読んで、高野さんの次の歌を思い出した。
「短歌往来」4月号の「墨東の大人」にある。

・小高編『現代の歌人140』身まかりて君のたましひ光る

さて、この二人の詠んだ本は同じなのか。
結論は、身も蓋もないが分からない。
というのも、小高さん編著のアンソロジーは、
2冊あって、
一つは『現代短歌の鑑賞101』、
もう一つが高野さんが詠んだ『現代の歌人140』。
梅内さんは、この両方に選ばれているので、
梅内さんが詠んだ本がどちらか決められない。
ただ『現代の歌人140』の解説文のほうが、
梅内さんにとっては、大切な内容ではないかと思われる。
となると、『現代の歌人140』になる。
この本を取り出して、
小高さんの解説を読み、
自分自身の短歌のあり方に思いをいたしたのではなかろうか。
まあ、しかし、これはとんでもない深読みかな。

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来年のこと

2014/10/02

今日の外大の授業はプレゼン。
環境問題について調べたことを発表する。
きちんと発表できるかなと思っていたが、
現代英語のクラスも
国際ビジネスのクラスも
それぞれ内容のある発表をしてくれた。

帰宅すると、ある雑誌から来年の時評の依頼が来ている。
最近の時評は、どうも視野が狭いように思えて不満だったので、
引き受けて、インパクトのあるものを書きたい。

夕食後には、
N市の短歌連盟の方から電話。
来年の短歌大会の選者の件。
口約束はしていたが、
正式な依頼とのこと。
こちらも引き受ける。
一般だけなので、気分的には楽。
小中学生の短歌は、選歌をしていると、
突然自分は何をしているんだろうという気がしてきて、
混乱状態になる。
でも、光る作品はちゃんとあるのだが。
その光をいかにして見つけ出すか。
これが大変。

そして、このブログを書こうとして、
パソコンを立ち上げ、メールを確認したら、
昨年淑徳で教えた女子学生からメール。
採用試験合格のメール。
来年からは、国語の教諭として
高校で教えることになるのだ。
昨年は一次は受かったが、二次で涙をのんでいたので、
本当に嬉しい。
因みにこの学生は、「しんぺんこまし」のメンバー。
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奥村晃作さんの第14歌集が青磁社から刊行された。
題して「造りの強い傘」。
うーん、すごい題だ。
装幀も素晴らしい。
このすばらしさは現物を見てもらわないと分からない。
手軽にどこにでも持ち運べるコンパクトサイズなのがいい。
しかし、歌数は、450首だから、読み応えがある。
歌集の題になったのは、この歌。

・折り畳み傘で造りの強い傘拡げて差して吹雪く道を行く

「伝統の継承」と題する一連にはこんな歌がある。

・ホームランそれも場外ホームランのようなドデカイ歌が詠みたい

ミツビシのボールペンの歌はどうなのだろう。
ホームランだとは思うが。
この歌には驚いた。
突然ホームページをやめてしまったが、
理由がよく分からなかった。

・人前の裸踊りはもういやだホームページの日録を閉ず

確かにあれだけ写真を載せていると、
「裸踊り」という気がしてくるのかな。
写真の洪水のようなホームページだったなあ。
この歌の前にはこんな歌がある。

・些事詠んで確かなワザが伴えばそれでいいんだ短歌と言うは

非常に断定的。
全面的に賛成という訳にはいかない。
問題は「ワザ」にあるから。

450首、あっという間に読めてしまうのが、
奥村さんの短歌のすごいところかな。
ぼくは、奥村さんの短歌は、
要するに即物主義だと思っている。
ただ時として、感情表現が強く出されるのが、
単純に即物主義とは言えないのだが、
大筋はそうだと思う。
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