「佐佐木信綱研究」第8号
2017/07/07
「佐佐木信綱研究」第8号が届いた。
「前川佐重郎氏インタービュー」という記事の中に
写真が多数掲載されているが、
その中の最後の一葉を見て少し驚いた。
当然信綱と前川佐美雄が写っている。
しかし、それ以外のメンバーがすごい。
鈴鹿俊子、川田順、五島美代子、そして何と五島いづみさんもいる。
それから後に有名人となる高田好胤、そしてさらに
保田輿重郎もいる。
前川佐重郎という名も、保田の名の一部をもらったのではなかろうか。
この写真を見ていると、そんな気もしてくる。
とにかく貴重な写真だ。
それと今さら私が言う必要もないことだが、
「佐佐木信綱研究」はいい仕事をしている。
こういう雑誌が他にも出てくると、
近代短歌研究も、
学問として十分成り立ってくると思うのだが。
どうだろう。
「前川佐重郎氏インタービュー」という記事の中に
写真が多数掲載されているが、
その中の最後の一葉を見て少し驚いた。
当然信綱と前川佐美雄が写っている。
しかし、それ以外のメンバーがすごい。
鈴鹿俊子、川田順、五島美代子、そして何と五島いづみさんもいる。
それから後に有名人となる高田好胤、そしてさらに
保田輿重郎もいる。
前川佐重郎という名も、保田の名の一部をもらったのではなかろうか。
この写真を見ていると、そんな気もしてくる。
とにかく貴重な写真だ。
それと今さら私が言う必要もないことだが、
「佐佐木信綱研究」はいい仕事をしている。
こういう雑誌が他にも出てくると、
近代短歌研究も、
学問として十分成り立ってくると思うのだが。
どうだろう。
「路上」138号
2017/07/05
「路上」138号が届いた。
目次を見て、あれっという感じ。
何とすべての原稿の執筆者が佐藤通雅となっている。
巻末の「ゆきしろ庵雑報」を見たら、
「しばらく純粋な個人誌の形で進めることにしました。」とある。
納得。
嬉しかったのは、
「柏崎驍二・帖」の連載が始まったこと。
やはり「ゆきしろ庵雑報」に
「「柏崎驍二論」という堅苦しいのでなく
「柏崎驍二・帖」として。」とある。
ただ読み進めてゆくと、
やはりこれは論だよなとは思った。
年齢的には柏崎さんのほうが、
二歳ほど上だが、
岩手県生まれで、高校の教員をしていて、
しかも歌人という共通点が多いわけだから、
柏崎さんにとって、
最適な方が柏崎さんの歌を読み進めてゆくのは、
本当にありがたいことだ。
じっくり読んでゆこうと思う。
コスモスの仲間たちにもぜひ読んでほしい。
当然この号は『読書少年』の歌について書かれている。
「『読書少年』1」とあるので、
数回続けられるのだろう。
目次を見て、あれっという感じ。
何とすべての原稿の執筆者が佐藤通雅となっている。
巻末の「ゆきしろ庵雑報」を見たら、
「しばらく純粋な個人誌の形で進めることにしました。」とある。
納得。
嬉しかったのは、
「柏崎驍二・帖」の連載が始まったこと。
やはり「ゆきしろ庵雑報」に
「「柏崎驍二論」という堅苦しいのでなく
「柏崎驍二・帖」として。」とある。
ただ読み進めてゆくと、
やはりこれは論だよなとは思った。
年齢的には柏崎さんのほうが、
二歳ほど上だが、
岩手県生まれで、高校の教員をしていて、
しかも歌人という共通点が多いわけだから、
柏崎さんにとって、
最適な方が柏崎さんの歌を読み進めてゆくのは、
本当にありがたいことだ。
じっくり読んでゆこうと思う。
コスモスの仲間たちにもぜひ読んでほしい。
当然この号は『読書少年』の歌について書かれている。
「『読書少年』1」とあるので、
数回続けられるのだろう。
『新選 小池光歌集』
2017/07/01
「現代短歌文庫」の131回配本の『新選 小池光歌集』が届く。
巻末のエッセイを読んで呆然とする。
題は「『日和』(永田和宏歌集)に差す日」。
出だしのところで、
桑原武夫と対面する場面が書かれている。
父親が知り合いだっとのこと。
第二芸術論なる扇動的評論を書いた御仁と、
小池さんが、かつて仙台で対面していたとは。
もちろん、小池さんは、東北大の理学部で物理を
専攻していたのだから、
この御仁がどんな人物かは、
きっと後々知ったのだろう。
今にして思えば、
桑原の論は、
随分粗雑だったと思う。
というより、
桑原以外の論もみな粗雑だったと思う。
短詩型文学批判が受けるから
こぞって書いたのではないかという気もする。
真摯に日本の文学の将来を憂えていたとは思えない。
憂えていた人たちばかりだったら、
今の日本の文学の凋落はないような気がする。
それとも、第二芸術論に与した人々は、
みな憂える中で、第一芸術の隆盛のために奔走したのだろうか。
そんなふうには思えないのだが。
第二芸術論も結局流行に過ぎなかったのではなかろうか。
とにかく流行が大好きなお国柄だから。
巻末のエッセイを読んで呆然とする。
題は「『日和』(永田和宏歌集)に差す日」。
出だしのところで、
桑原武夫と対面する場面が書かれている。
父親が知り合いだっとのこと。
第二芸術論なる扇動的評論を書いた御仁と、
小池さんが、かつて仙台で対面していたとは。
もちろん、小池さんは、東北大の理学部で物理を
専攻していたのだから、
この御仁がどんな人物かは、
きっと後々知ったのだろう。
今にして思えば、
桑原の論は、
随分粗雑だったと思う。
というより、
桑原以外の論もみな粗雑だったと思う。
短詩型文学批判が受けるから
こぞって書いたのではないかという気もする。
真摯に日本の文学の将来を憂えていたとは思えない。
憂えていた人たちばかりだったら、
今の日本の文学の凋落はないような気がする。
それとも、第二芸術論に与した人々は、
みな憂える中で、第一芸術の隆盛のために奔走したのだろうか。
そんなふうには思えないのだが。
第二芸術論も結局流行に過ぎなかったのではなかろうか。
とにかく流行が大好きなお国柄だから。