「暮しの手帖」91号
2017/11/29
月曜日、「暮しの手帖」を買いにゆこうとして、
郵便受けを見たら、奥村さんからの郵便。
何かなと思って開くと、
何と買いにゆこうとしていた「暮しの手帖」。
何と表紙に「奥村晃作 暮らしの短歌」とあるではないか。
中を見ると、
「奥村晃作さんのただごと歌」というタイトルになっている。
16冊の歌集から50首選ばれて、掲載されている。
グラビアもある。
インタビューもある。
さらに題詠の募集もある。
いやあ、至れり尽くせりとはこういうことを言うんだなと
しみじみと思った。
現代の歌人が
「暮しの手帖」に8ページにわたって、
掲載されたことがあったのだろうか。
まさに前代未聞。
多分、「暮しの手帖」を定期購読している方たちも
さぞや驚いたことだろう。
そして、「ただごと歌」というものの
もつ迫力にきっときづいただろう。
ぼくの歌もどちらかと言えば、
「ただごと歌」に近いので、
まさにわが意を得た編集である。
これから、あちこちのカルチャー等でも
紹介したい。
いや、ぜひとも紹介したい。
郵便受けを見たら、奥村さんからの郵便。
何かなと思って開くと、
何と買いにゆこうとしていた「暮しの手帖」。
何と表紙に「奥村晃作 暮らしの短歌」とあるではないか。
中を見ると、
「奥村晃作さんのただごと歌」というタイトルになっている。
16冊の歌集から50首選ばれて、掲載されている。
グラビアもある。
インタビューもある。
さらに題詠の募集もある。
いやあ、至れり尽くせりとはこういうことを言うんだなと
しみじみと思った。
現代の歌人が
「暮しの手帖」に8ページにわたって、
掲載されたことがあったのだろうか。
まさに前代未聞。
多分、「暮しの手帖」を定期購読している方たちも
さぞや驚いたことだろう。
そして、「ただごと歌」というものの
もつ迫力にきっときづいただろう。
ぼくの歌もどちらかと言えば、
「ただごと歌」に近いので、
まさにわが意を得た編集である。
これから、あちこちのカルチャー等でも
紹介したい。
いや、ぜひとも紹介したい。