『桜雨』

2018/05/29

特に理由はないのだが、
斉藤梢さんの第一歌集『桜雨』(雁書館)を読み返した。
1996年刊行。もう20年以上前だ。
でも、全然古びてない。
今でも新鮮な歌がいくつもある。
例えば、この歌。

・川のない町の夕暮れうつすらと黄昏橋が中空に浮く
            
 川がないのだから、当然橋はない。だから「黄昏橋」は
作者にしか見えない橋である。
しかし、幻というのではない。確かに作者には見えたのであるから。
 こんな歌もある。

 ・ひとりひとりの息残されて曇りをり夕陽のなかの電話ボックス
 
 携帯電話がこの世に行き渡った今では、理解の難しい歌かもしれない。
 次の歌もやはり見えないものを見えるかのように詠んでいるのでは。

・雑踏の流れに逆らひ行く時にわが息われに跳ね返る師走

 師走という気ぜわしく人々行き交う雑踏の中で、逆らおうとしている
自分の無力感が詠まれているような気がしてならない。多くの違和を
抱えて、何とか自分を取り戻そうとているのに、どうにもならない無力感
の象徴として「息」はあるのだろう。
 次のような対句のある歌もいい。

・春風に耳あるやうな 秋風に尾のあるやうな 子を産みてより
・紫陽花と空とをつなぐ雨の糸ゆるみては金しまりては銀
・うらうらと「ぎたる弾くひと」読む夕べ鳴らぬ言葉を鳴らす朔太郎

 この三首を読んで、「対句の力」というものを改めて思った。
対句を用いることによって、当然リズムがよくなる。
しかし、それだけではない。対句というものは、
必ず対比を含んでいる。
つまり、対比の仕方によって、
さらに一首の世界が深まってゆくのである。

ところで、この歌集の装幀が素晴らしい。
雁書館の本にしては珍しく表紙は、最近はめっきり少なくなった
布装である。しかも背は、金の箔押し。
雁書館の本にはあまりこういう装幀の歌集はなかったのでは。
この装幀を担当したのは、当然ではあるが、
小紋潤さん。
なお、表紙の帯文は、高野公彦さん。
選歌は、小島ゆかりさん。
実に豪華なメンバーだ。
でも、歌のほうもこの豪華さに決して負けていない。


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次々に

2018/05/29

次々に、これはという歌集が出されている。
トップバッターが加藤治郎さんの『Confusion』。
もう何でもありという歌集。
6月2日のイベントでも話題になりそうだ。
というより、話題になるに違いない。
そして、大森静佳さんの『カミーユ』。
さらに、小佐野弾さんの『メタリック』。
極めつけは、穂村さんの
『水中翼船炎上中』。
この歌集も6月2日に話題になるだろう。
ところで、
穂村さんは、水中翼船が好きだというが、
ぼくは、普通の船は特に好き嫌いはないが、
どうにも水中翼船は苦手だ。
船に何で翼があるのという極度の偏見の持ち主だから。
それに、炎上中というのだから、
ヤバイではないか。
とんでもない事故が起きたということになる。
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穂村弘さんの新歌集『水中翼船炎上中』(講談社)が届いた。
装幀があまりに素晴らしいので、
頁を開くのがもったいなくて、
開けない。
最近では、これだけ凝りに凝った歌集はないと思う。
青磁社も真っ青という感じ。

とにかく困った。
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9号の批評会が予定通り、26日福岡市のアクロス福岡で開催されました。
青森や岩手からの参加者もありましたが、
当日欠席が一人もいない会で、24名が午後1時から6時まで、熱心に
出席者の歌について批評を行いました。
素晴らしい会場で、博多駅、福岡空港からのアクセスもよく、
二年に一回は、福岡でという声もありました。
特にこの建物の背面が森のようになっているのに、
多くの参加者が驚いていました。
こういう大胆なことができるのは、
やはり福岡ならではなのかなと思いました。
普通は、したいと思っても、諦めますよね。

翌日は、宿泊したメンバーのうち、柳川へ行く者、
伊万里へ行く者と、二手に分かれて、さらに満喫しました。
ぼくは、やっと柳川に行くことができ、感無量です。
柳川には、6名で行きましたので、舟を貸し切りで出してもらい、
実に優雅な川下りを楽しめました。
そして、北原白秋生家へ。
資料がふんだんに展示してあって、
また一度来なくてはいけないなと思いました。
白秋の歌集、詩集、
そして白秋が関わった雑誌を見て、
本当に白秋は、斬新なデザインに常にこだわっていたことが、よく分かりました。
帰りののぞみの時間の関係で、
ゆっくり柳川の町の散策ができなかったのが、残念。
うなぎも食べたかった。
博多駅では、
西郷どんの俳優のラッピングのしてある電車に出会って嬉しかった。
家に着いたのが19時半ごろ。
もちろん西郷どんを見る。


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詩法

2018/05/25

前回話題にした坂野信彦さんが中心となって
出していた雑誌が「詩法」である。
10号まで出して終刊となった。
実に潔い雑誌である。
ただ10号の坂野さんの文章を読むと、
どうも闇雲に相手を批判するのみで、
言葉の上滑りが甚だしい。
かなり苛立っていることが如実に分かる文章だ。
10号の発行日は、
1990年1月20日である。
この翌年にはバブルがはじける。
この「詩法」の編集を担っていたのが、
金川宏さんで、
金川さんは、最近侃侃房から歌集を出している。
「詩法」終刊から20年近くになるが、
それぞれの変化について、いろいろ考えてしまうが、
きりがない。
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家を建て直して、先月末に戻ってきた。
荷物の整理がかなり片付いて、書庫の整理も
少しずつ進めているが、
今の時点ではかなり貴重と思われる資料が
荷の中から次々に出てくる。
今日紹介する「中京短歌」2号もその一つだ。
1987年4月発行。
30年以上前だ。
20人以上の執筆者がいるが、
今も短歌の世界と関わりを持っている人は半分以下だ。
現役の歌人として今も活躍している人を挙げてみる。
島田修三、
林和清、
喜多昭夫、
加藤孝男、
荻原裕幸、
大塚寅彦、
小塩卓哉、
加藤治郎。
加藤治郎さんの住所は、東京都北区。
この八人くらいである。
かつて何冊か歌集や評論集を出していた坂野信彦氏の名前もあるが、
今はいったい何処で何をしているのだろう。
とんと名前を見かけない。
そして、この「中京短歌」は何号まで出たのだろう。
三号雑誌で終わったのかどうか。
今のところ確認できていない。
多分、また書庫の何処かから出てくるのでは。
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コスモスの愛知支部の歌会。
13時より名古屋市短歌会館。
初めて参加する方がいるので、定刻までには行くつもりだったが、
生憎家の用事に時間を取られて、一本遅い電車になってしまったので、
やむをえず名古屋駅からタクシーを利用。
これがびっくり。
運転手が外国人なのだ。
名古屋のタクシー会社では大手なのだが、
大手でも人手不足はかくも深刻かと思わざるをえなかった。
もちろん名古屋市短歌会館を知るよしもなく、
向かい側にあるホテルの名前を行ってもちんぷんかんぷん。
で、彼は、カーナビを操りはじめた。
幸い、短歌会館の前まで行けたが、
カーナビでうまく捕捉できない場合はどうなるんだろう、
心配になってきた。
次に乗るときには、外国人ドライバーにあたらないことを
ひたすらに願う。

さて、肝心の歌会。
出詠者10名、うち2名欠席。
当日出詠者2名。
結局10名。
初めての方も何とか歌会の雰囲気になじんでいただけたようだった。
歌会を終えた後、何人かの人に貸していた歌集を返してもらい、
逆にまた新しい歌集を貸し出す。こうやって、一人でも
多く歌集を読む癖をつけてもらえたらと思っている。
何せ我が家の書庫には、何百冊の歌集があるから。
いや、千は間違いなく超えているか。

4時前に終えて、近くの若者向きの喫茶店に行く。
完全に場違いなのだが、
ぼくらは厚顔無恥だから気にしない。
空いた席をすぐ確保して座り込む。
もちろんコメダではない。
コメダならぼくらは浮かないと思うが、
この店では完全に浮いていた。
でも、コーヒーは、一人ずつドリップで出してくれるから、
味には文句はない。
でも、会計は先払いだから、
少し時間がかかる。
まあ、先に払えば気楽という気もするが。
歓談の後、散会。
初めての方も最後まで付き合ってくれた。
ありがたいことだ。



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訃報

2018/05/05

直木賞作家の古川薫さんが亡くなられた。
コスモスとはゆかりのある作家である。
というのも、コスモスの元選者である森重香代子さんは、
古川氏の夫人である。
「コスモス」5月号には、こんな歌が詠まれている。

・朝の間も昼間も睡り付添へる吾に歌よむ時間をくれぬ

いつかこういう時が訪れるとは思っていたが、
森重さんの悲しみの深さは量りしれないものだろうと思う。
ご冥福をお祈りする。
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