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二月尽

2019/02/28

二月も今日で終わり。
いやあ、今月はたくさん書いた。
書いたのには理由があるが、
今日はまだ書けない。

今日は毎日文化センターの日。
久し振りに傘をもって出かけた。
本日の出席は9名。
9名のうち、3名の歌に猫が登場していた。
猫は歌になりやすいのだろうか。
途中、本当に久し振りに見学の方が来られた。
どうやら、新メンバーになりそうだ。
休会中の方が何人かいるので、
一人でもメンバーが増えるのは嬉しい。
経験者のようだ。

明日は3月。
あと一月で新しい元号のお披露目になる。
さて、どんな元号になるのやら。
それで、一つ疑問。
新天皇は、いつ新しい元号について知るのだろうか。
私達と同じ4月1日なのだろうか。
少なくとも前日には教えてもらうのだろうか。
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『老境まんが』(ちくま文庫)を読んでいる。
『貧乏まんが』と同じ山田英生編。
トップバッターが永島慎二というのが嬉しい。
谷口ジローもいる。
近藤ようこもかつてかなり読んだが、
ここに収められているのは、
「極楽ミシン」は読んだことがなかった。
これは近藤の作品の中でも特にいい。
特に嬉しかったのは高野文子の「田辺のつる」が
収められていること。
高野が23歳の時に書いたと解説にあり、驚いた。
そんなに若い時の作品とは思わなかった。
もちろんつげ義春もある。
「長八の宿」が収められている。
トリは、白土三平の「ざしきわらし」。
若いころから好きだった漫画家の作品が、
こういう形のアンソロジーに入れられて読めるのは嬉しい。
漫画というものの価値がまだ充分認められていないのは残念だが、
ぼくはこのアンソロジーに収められた作品は、
いずれも短編小説と競えるものを持っていると思う。
「老境小説」といったアンソロジーが出たら、
比較できるのになあ。
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「鱧と水仙」52号が届く。
巻頭の30首は、黒木三千代さんと黒瀬くん。
黒瀬くんが30首を載せるのは、初めてでは。
足立晶子のエッセイ「三島を過ぎた人たち」は、
2頁ではもったいないような内容の濃いものだ。
三島というと、ぼくは三島大社しか行ったことはないが、
近代の作家たちが多く訪れているということを
この文章で教えてもらった。
正岡子規がここから箱根を越えたことは、
予想の範囲だったが、
宮沢賢治が二十歳の時に三島を訪れているというのは、驚きである。
盛岡高等農林学校の修学旅行の帰路、
三島で降りて箱根を越えたそうだ。
宮沢賢治が東京へ何度も出ていたことくらいは知っていたが、
さらに西の地域に足を伸ばしていたとは。
ただ修学旅行以外で関西方面にに出かけたことはあったのだろうか。
特集は「平成のドラマ、映画のわたし」。
ぼくは映画も、ドラマもそんなに見ないから、
同人のみなさんの文章を読んでも、
どうもピンと来なかった。
まあ、見ていないのだから、どうしようもない。
落合けい子さんが映画の「日日是好日」を取り上げているのは嬉しかった。
テレビドラマでずっと見続けているのは、
「相棒」シリーズくらいである。
栗木京子さんも「相棒」のファンなので、
一度「相棒」談義をしてみたいのだが、
お会いしても、結局そうはならない。
なぜだろう。
短歌モードになってしまっていると、
テレビの話題というのは、後回しになるのだろうか。
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種明かし

2019/02/26

「灯船」12号の批評会で、拙作の24首詠「聴雨」について
批評をいただきましたが、
なぜ「聴雨」という題をつけたのかについては、
意見をいただけませんでした。
ということで、自分で言うのも何ですが、
種明かしをします。
森下典子さんの『日日是好日』を元にした
映画「日日是好日」の茶席の場面で、
「聴雨」という額が飾ってある時がありました。
多分梅雨の時季の茶席ではなかったかと思います。
額に書かれた「聴雨」という言葉を見た瞬間、
24首詠のテーマが決まりました。
そして、詠みすすめていた時、
そう言えば、二宮冬鳥の雨の歌は、
みんな「聴雨」の歌だなあと気付きました。
この発見は本当に嬉しかったですね。
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一ノ関忠人さんの歌集『木ノ葉揺落』にこんな歌がある。

・紀伊国屋書店二階に若きらの歌集三冊けふこそは買ふ

「三冊」に注がついている。
注の内容は以下のとおり。

「木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房)、
五島諭『緑の祠』』(書肆侃侃房)、堂園昌彦『やがて
秋茄子へと到る』(港の人)

この三冊を一ノ関さんは買ったんだ。
立派だなあと思う。気になる歌集があるなら買う。
送ってもらえた歌集だけを読むという態度もあるだろう。
しかし、買って読むことは大切だと思う。
ただ最近はないが、買って読み始めたら、その歌集が届くという
こともかつてはよくあった。
最近はあまり買わない。
待っているわけでもない。
いただいたら、丁寧には読みたい。
この出会いは、時に至福の時間になる。
一ノ関さんの歌集は、そういう意味では、
至福の時間を与えてくれたのだ。
最近買った歌集。
飯田彩乃『リヴァーサイド』(本阿弥書店)。
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「ちくま」3月号の穂村弘さんの連載「絶叫委員会」が
いつもと趣が違う。
題は「父の言葉」。
こんなふうに父親が書かれている。

「私にとってもっとも身近な高齢者は父である。
今年米寿を迎える彼は耳こそ遠いものの元気で、
特に足腰が強く、今も登山を趣味としている。」

すごい。米寿を迎える人の趣味が登山とは。
いや、すごすぎる。
さらにすごいエピソードが紹介されている。
山頂付近で転倒して、足の骨を二本折ったにもかかわらず、
自力で下山したというのだ。
三浦雄一郎並ではないか。

この三月号から鹿島茂の連載がはじまった。
題して「吉本隆明2019」。
少し難しいが、面白い。
楽しみが一つ増えた。
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一ノ関忠人さんのの第四歌集『木ノ葉揺落』(砂子屋書房)を
読んでいたら、こんな歌に出会って、本当に驚いた。
まさか山本周五郎の傑作『虚空遍歴』が詠まれようとは。

・胸の内に湯の湧くごとき感傷にこよひは浸る『虚空遍歴』

『虚空遍歴』は、わが青春の書てある。
高校二年の時に、山本周五郎の時代小説の虜となり、
ひたすら読みつづけて、読書感想文にも山本周五郎の時代小説
を取り上げて書いた。
その熱中の最後に出会ったのが、『虚空遍歴』。
主人公の中藤冲也が何度も何度も挫折しながら芸の道を究めようとするさまが
これでもかこれでもかと書かれていて、読みつづけるのが辛くなるが、
それでも読み終えた時の感動は今だに忘れることができない。
そして、読んでいる途中で何度も涙をこらえなくてはならなかった。
一ノ関さんは、ぼくより六歳若いが、
どうやら読書体験は似ているようだ。
何せつげ義春の「紅い花」を詠んだ歌もあるのだから。
足立巻一の『やちまた』も詠まれている。
この長編小説も貪り読んだ記憶がある。




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大間違い

2019/02/24

この日記で、
2月23日は、東京マラソンの日と書きましたが、
今年の東京マラソンは、3月3日です。
ぼくの得意の思いこみというやつです。
それに、「桟橋」時代の批評会は、
日曜日にやっていたわけですから、
そもそも土曜日に東京マラソンがあるわけはないですね。
ですから、
昨日は東京駅からタクシーに乗りましたが、
あっという間についてしまいました。
かつては、手前で降ろされて、必死で会場に駆けつけましたが。

昨日は、当日欠席はなく、
逆に一名追加で参加しましたので、
なんと37名という近来にないにぎやかな
「灯船」の批評会になりました。
栗木京子さんが、歌の読みはこうあるべきという見本を
示してくれましたので、皆さん大変勉強になったようです。
特に、ぼくが感銘したのは、
「余白を読ませる」という言葉です。
全部詠む必要はなく、読者に読み取らせることの意義ですね。
全部詠むと完全な押しつけになってしまいます。
これでもかこれでもかという歌に辟易したという経験は
誰であると思いますが、
ここのところですね。

帰宅は11時20分。
ハードでしたが、実り多き一日でした。
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本日批評会

2019/02/23

5時半に起き、出かける準備。
10時前には東京に着く予定。
天気が持ち直したので、助かる。

長丁場の批評会。
年四回だが、
「桟橋」から数えると、一体何回になるだろう。
まあ、いつまで経っても、修業ということかなあ。

帰宅は、11時前後。

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「コスモス」3月号の裏表紙の裏に、
「コスモス短歌会の内規」が掲載されている。
これまであまり熱心に読んでこなかったが、
さすがに選者ともなると、読まざるを得ない。
今回、歌集を出すことに大きな変更があった。
厳密に言うと、
叢書番号を取得して歌集を出す内規に変更があった。
新しい内規はこうなっている。

「コスモス叢書として歌集を出版できるのは、①その一集に
昇級した会員、および②コスモスに十年以上在籍した人に
限ります。」

②が大きな変更。要するにコスモス短歌会に10年以上在籍すれば、
所属欄の如何に関わらず、コスモス叢書として刊行できるということ
である。

画期的な変更だと思う。
コスモスの場合、誌上で優れた歌を載せていて、
賞をもらったのにもかかわらず歌集を出さないままになってしまう人が多い。
全体の雰囲気として歌集を出しにくいというのも一つの要因だと思う。
出しやすい方向に変わったのだから大きい。

歌集を出すことの最大の意味は 、
歌集を出したことによってステップアップできることだ。
歌集を読んだ人たちからいろんな言葉をもらえる。
それが励ましになり、勇気づけになる。
そして、自分の歌の方向についても考える。
歌集を出しただけで、満足しては駄目だが、
多くの人は出したことによって、
ステップアップしてゆく。

逆に優れた歌を詠んでいても、
歌集を出さない人たちの歌は、
しだいに疲れを帯びてゆく。
詠まれる内容に変化が乏しいために、
詠む歌がつぎつぎにいつか見た歌になってしまう。
それが疲れた歌という意味だ。
歌集を出すことは大変なことだが、
出す勇気と決断が、
その人、その人の歌を変えてゆくことは確かである。
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