FC2ブログ

帰着

2019/07/31

夕刻、信州方面より帰着。
わが家に入っての一声は、
アチチチ。
何と36度を超えていた。
要するにサウナ状態。
わが書斎の現在の温度は、ようやく33度。
少し涼しくなった。

中日新聞の夕刊を見ると、
何と一面に、
「平和園」が採り上げられている。
まさに、名古屋の短歌の聖地の面目躍如といったところ。
pagetop

出掛けます

2019/07/28

明日から3日間、県外に出掛けします。

ちょっとしたプチ避暑という感じかな。

帰宅は、水曜日の夕刻です。

締め切りのある原稿などを
何とか今日中に送り終えて、
明日からに備えています。
pagetop
今日は、中日短歌会の三河特別歌会。
会場は刈谷市の産業振興センター。
12時半に会場へ行くが誰もいない。
もちろん50分ころには、責任者等が到着。

出席は25名くらいかなと思っていたが、
そんなことはなかった。
出詠参加者は、30名。出詠はなく参加した方は、3名。
ということで、33名の出席。
司会は、小生とベテランの佐野美恵さん。
初めて中日短歌会の選者を担当したお二人は、
当然のことながら力量どおりの批評をされた。
中日歌人会創設からの会員の、
馬淵さんも選者として出席。
的確な批評は、さすがとしか言いようがない。
13時30分定刻に開始して、
16時には終了。
なかなか気持ちのよい歌会だった。
超結社の会の良さがきわだった会だった。

pagetop
豊橋でのイベントの開催は、6月14日だったが、
忘れてはいけないのは、その少し前、
厳密に言えば、
5月7日に俵万智の『サラダ記念日』が出されるのである。
そして、年末にかけて『サラダ記念日』フィーバーが起こるのである。
ただ、6月14日の段階では、その予兆はなかった。
あのイベントでの大きな話題は、
やはり俵万智さんに関わる。
私が会場の進行を無視して
ロビーで何人かの女性歌人たち話し込んでいたら、
会場から出てきた人が
「俵万智が泣いてるよ」というのである。
某男性歌人が泣かせたという話がその後伝説のように伝わった。
そしてもさきほども書いたように、
俵さんは、そん出来事などすぐに忘れざるをえない
とんでもない状況に巻きこまれてゆくのである。
現代短歌が大きく変化してゆく前夜祭だったのかなと、
いまではあの豊橋でのイベントのことを思わざるをえない。


pagetop

証拠物件

2019/07/22

1987年6月14日、愛知県豊橋市のホリデイ・イン・豊橋で
「短歌フェスティバル・in・豊橋」が開催された。
その時配布された資料が、書庫で探し物をしていたときに、
なぜか突然出てきた。
資料名は「ヤング。ゼネレーション自選20首」です。
掲載された歌人の名前をすべて挙げます。

大塚寅彦
大辻隆弘
荻原裕幸
小澤正邦
小塩卓哉
加藤治郎
加藤孝男
喜多昭夫
紀野 恵
坂井修一
俵 万智
中山 明
滑川真弘
林あまり
緑川幸成

多くは何と手書きです。
ワープロを用いているのは、
小塩卓哉、加藤孝男、坂井修一、中山明、滑川真弘、緑川幸成の6名です。

なお、この会の主催団体は、
歌人集団・中の会とゆにぞんです。
ゆにぞんは、未来の岡井選歌欄のグループ名です。
午前の部は10時から12時
午後の部は1時から5時半。
懇親会は6時から8時。
とんでもない日程ですね。

ぼくは午後の途中で疲れ果てて帰ったような記憶がある。
もちろん懇親会は出ていない。
pagetop

講演の予定

2019/07/18

この秋、二回ほど講演をします。

・9月8日(日)13時~14時半
「宮柊二と高野公彦」
副題は「朝日歌壇が結んだ師弟の絆」
会場は、スカイル10階の朝日カルチャーセンター。
ということは、有料です。

・10月13日(日)10時~11時半
「令和の時代と万葉集」
会場は中村図書館。
無料ですが、先着順です。
というのも、20名限定ですので。

それぞれの演題に興味のある方は、
どうぞご参加ください。
pagetop

ドラゴンズ

2019/07/17

昨日、安城市の小学校で、
短歌教室の先生をした。
ぼくは6年1組を担当した。
1組のみなさんは、割にすいすい歌を作ってくれた。
最初は、歌なんか、めんどくさいと、あきらめる子も
ひよっとしているかなと思ったが、そんなことはなかった。
3時間目、4時間目と二時間続けて行った。
その後一緒に給食を食べた。
50数年ぶりくらいかな。
その給食の最中、
何とずっと中日ドラゴンズの応援歌が流されていた。
ドラキチの男の子がいて、
その子が流していた。
挙げ句の果てには、「遠い夜空に」と歌いはじめる子もいた。
ぼくも60年近くドラゴンズファンだから、
嬉しかったですね。
だから、おじいちゃんと一緒にドラゴンズを応援するという歌を
ベスト3に選んでしまった。

ところで、この文章を書いている時点で、
ドラゴンズは7連勝。
阪神に3連勝。
この調子ですな。
pagetop
角川「短歌」7月号の「ふるさとの話をしよう」に、
宮城道雄の供養塔について書きました。
宮城道雄は、昭和31年の6月25日、
刈谷駅の少し手前で、急行「銀河」から誤って落ち、亡くなった。
翌年、転落場所近くに、
とても立派な供養塔が建てられました。
ぼくが撮影した供養塔が掲載されていますが、
実は、ぼくが撮影したあと、
何と、供養塔の周りの木々がかなり大胆に剪定されてしまって、
掲載した一首とはかけはなれた状態に、
今はなっています。
幼いころ、刈谷駅で列車が着くたびに
「春の海」が流されましたが、
もちろんその理由を知る由もありませんでした。
それにしても、
宮城道雄はなぜよく利用していた急行「銀河」から
転落してしまったのたろうか。
謎ですね。
内田百間(本当は月ですが)の小説「東海道刈谷駅」は、
その謎を探った小説です。
pagetop
真中朋久さんがこんな歌を詠んでいる。

・「平成」になじめぬままの三十年「令和」になじむこともなからむ

同感だ。というより、「令和」という元号が発表されて以来、
わが胸に去来する違和感を見事に詠んでくれているなあと
ひたすら嬉しくなった。
「平成」という時代は、何かいつも浮遊感がただよっていた。
ぼくだけの思いにすぎないかもという気もしたが、
ぼくだけではないと確信をもてた。
「令和」という言葉にはなじめない。
選歌していても、
「令和」という言葉があると怯んでしまう。
特に「令和」の時代へのあからさまな期待の
言葉が詠まれている歌は、どうにも採る気がしない。
もう少し単純に考えたほうがいいのかもしれないが、
なじめないものは、なじめないのだ。
pagetop

名鉄電車

2019/07/12

「塔」7月号には、偶然なのか必然なのか
名鉄電車が永田和宏さんと栗木京子さんの歌に出てくる。
まず永田さんの歌。

・赤い電車の名鉄電車に乗つてきた藤川宿がけふのはじまり

名鉄電車はかつては、赤色の車両が多かった。最近は、銀色が増え、
赤の割合は減りつつある。
藤川には一度だけ行ったことがある。
遠い親戚がいたようで、父に連れられて行った。
しかし、行ったということしか覚えていない。
栗木さんの歌。

・橋越ゆればまたしやんしやんと走り出す強風の日の名鉄電車

名鉄電車が強風でストップするのは、豊橋周辺なので、
栗木さんと永田さんは、同じ日に豊橋方面に出掛けたのではないかと
いう気がする。もちろん確証はない。
永田さんのこの歌は、愛知県に長く生活しているのに、
知らなかったことを教えてくれた。ぼくが無知なのだとは思うが。

・豊橋はもと吉田宿豊川に架かる豊橋を市の名となしき

うーん、そうだったのか。
pagetop
プロフィール

スズタケ

Author:スズタケ
FC2ブログへようこそ!

カレンダー
06 | 2019/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -