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11月23日に、
「灯船」15号の批評会を名古屋で行う。
会場はウインクあいち。
正式名称は、愛知県産業労働センター。
昔は中小企業センターと言った。
建て替えて名称も変わった。
中小企業センターのころには、教員採用試験の面接会場だった。
面接官が、繰り返し同僚と結婚するなと言っていたことは今でも忘れられない。
ただそれに対して、自分は社交的でないから、結局同僚と結婚することになると思うと、返答していた自分はいったい何者だったのだといまさらながらに思う。

ところで、「塔」10月号を見ていたら、
第三回社員総会&シンポジウムを
愛知県産業労働センターで行うと18ページに記している。
非常に細かいことだが、
一点気になった。
「ウィンクあいち」と記してある。
正しくは「ウインクあいち」。
要するに「ウインク愛知」の「ウインク」は、
ウィンクをするの「ウィンク」ではないのだ。
「産業労働センター」を英訳して頭のアルファベットをつないだだけなのだ。
それにしても、こんなに細かいことをああだこうだと言っていてはいけないな。
でも、こういう間違い探しが好きな性分なのだ。
困ったものだ。



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「ちくま」11月号の新刊案内を見て驚いた。
吉川幸次郎全集の別巻が出るというのだ。
本巻27巻は、1987年に完結した。
それから32年経って、
別巻の「総合索引」が出るというのは、
感動的である。
価格は18000円だから、かなり高額だが、
すでに本巻は、図書館に入庫しているだろうから、
図書館は別巻も購入するだろう。
もちろん吉川幸次郎全集を図書館に入れることにした多くの司書は
現場にはいないだろうが。
それにしても、この執念はすごいと思う。
小野不由美の『十二国記』に対する執念もすごいと思うが、
この総合索引を完成させた人たちの執念も勝るとも劣らない。
ところで、
本巻が完結した1987年は、
もちろん『サラダ記念日』が刊行され、大ブームになった年である。
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引き続き、ある歌集の歌を。

使いなれた皿を食事で
あたらしく知るように
ことばに
会いたい

言いたいことは何となくわかる。
使いなれた言葉にも、
きっと何か新鮮なものがあるはずだ。
そんな新しい言葉に出会いたい。
言葉への切なる渇望。
もちろん今の言葉に対して、
不信感に近いものがあるのだろう。
いや、これでは言い過ぎか。

とにかく驚くしかないのは、
この歌も31音なのだ。

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第42回現代短歌大賞を高野公彦さんが受賞した。
コスモスでは宮英子さん以来だ。
授賞式は、12月19日。
現代歌人協会の忘年会の日だ。
馳せ参じたいのはやまやまなれど、
生憎、その日は木曜日。
つまり、授業のある日なのだ。
さてさて、どうしよう。

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前記事に続き、ある歌集の歌。

のぞむなかで知らされる
生はもとめる途上にしか
いられないのを

箴言のような歌。
でも、倫理的にはならない。
というのも「生」が擬人化して詠まれているから。
悟りのような気もする。
でも、たぶん悟りたくはないのだ。
諦念でもないだろう。
悟りと諦めのミックスなのだろうか。
迷路に入りこんだ気もする。
いや、この迷路に追い込まれることに、
多分快感をおぼえるのだろう。

この歌も破調だが、31音。

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ある歌集を読んでいて、こんな歌に出会った。

両のてのひらをやさしく
にぎり合わせて
夕べのひとは席につく

具体的なことはほとんど読み取れない。
しかし、不思議に、何かある雰囲気に浸ってゆく自分があることも確かである。
しかも、五七五七七のリズムを崩しているにもかかわらず
特に違和を感じない。
三十一音ではある。
こういう歌の魅力を語ることはむつかしい。
しかし、私は、語りたくなる。
しばらく、このある歌集について語ってゆきたい。
なぜ、歌集名を記さないのか。
もちろん、私なりの意図があるわけで、
明かさないつもりはない。
もちろん、
この歌を見つけた瞬間、
誰の歌集かわかる人も、
このブログの読者にはたくさんいるはずだと信じている。
いや、言い過ぎた。
たくさんいるはずだと思う。



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『十二国記』について、2回書いたが、
そのせいかある方からコメントをいただいた。
ぼくと同じような思いをしている方がやはりいるんだと、
確認できてうれしかった。
さらにその方は、
『魔性の子』を読み返しているとも書いている。
これもぼくと同じだ。
『魔性の子』を読み返していた。
そして、さきほど読み終えた。
読み終えて、まさに小野不由美畏るべしの感をさらに強くした。
28年前に書かれた『魔性の子』は、
『十二国記』のストーリーが、その時点でできあがっていることを暗示している。
多分、今回の新刊で戴国の物語は決着を見るが、
この決着までもが、28年前には出来上がっていたのではないかと思われてならない。
なお、このことに関しては、
「ダ・ヴィンチ」11月号で、
大森望が書いている。
大森は、新刊の4冊をゲラで読んだとのこと、
うーん何とうらやましいことだ。
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新潮文庫の『十二国記』の新刊の1、2巻を読み終えたが、
何というか、五里霧中というか、
全く先が見えない。
半分読んだのだから、
少しは見通しがきくのかと期待して読み進めたが、
どうにも話の先が見えない。
11月9日に、
3巻、4巻が出されるが、
それまでこういう気持ちが続くかと思うと、
なんとも困ったものだ。

ところで、学生たちにこの話題をふってみたが、
なんの反応もない。
要するに学生たちは、『十二国記』そのものを知らないのだ。
だって18年ぶりの新作なのだから。
彼らは生まれて間もないころだ。
だから、
ある学生がいみじくも言ったが、
大人たちが勝手に盛り上がっていると。
まさにそうとしか言いようがない。
『十二国記』で盛り上がっているのは、
30代以降の大人たちに間違いない。

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『秋の一日』には、西村尚氏を悼む歌も掲載されている。
「遠し舞鶴」7首である。
次の歌は、短歌史に残る一場面ではないかという気がする。

・冬の夜を遺書を前にしうなだれゐき高瀬隆和、西村尚と

遺書は、もちろん岸上大作の遺書である。
1960年12月5日、岸上大作は、下宿で亡くなる。
その下宿に駆け付けた三人がこのように詠まれている。
12月6日の夜だったのだろうか。
三人にとっては、なんとも理不尽な死であったろう。
高瀬さんが亡くなり、
西村氏、藤井常世氏も亡くなられ、
生前の岸上と何等かの交流のあった人たちが
次々と亡くなってゆく。
このほかの3首を紹介する。

・岸上の死の悲しみを知る人ゆゑ この世にはまだ居てほしかつた

・雲ひとつなき瑠璃紺のけふの空いま一度会ひたし西村尚に

・舞鶴を一度は訪はむと思ひつつ君逝きてさらに遠し舞鶴


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沢口芙美さんの第6歌集『秋の一日』を読んでいる。
この歌集にも小高賢さんを悼む歌が載せられている。
「ふたたび命を」7首である。
三首紹介する。

・明快な論を書きつぎおよそ死にもつとも遠き君の有り様

・通夜の儀に香たむけれど嘘のごとし小高氏と死がまだ重ならず

・いつしかにめぐりさみしき冬の原 藤井常世なし小高賢なし

一首目の歌のように多くの歌人たちは思っていた。
自分より小高さんが先に逝くなどということは、
到底信じられなかったのだ。




 
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