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「コスモス・紙上全国大会詠草集」が昨日届いた。
参加者全員の詠草と、
各詠草についての選者によるコメント。
そして、一人一人何票入ったかが分かる一覧表。
さらに、選者がどの歌に票を入れたのかもこの一覧表でわかる。
もちろん参加者名簿も。
要するにコスモスの全国大会で配られる詠草集と同じものを
作ってしまったのだ。
違うのは、選者のコメントがすべての詠草につけられていること。
出詠者は280名。
票は選者も入れているので、票を入れたのは、302名。
票が一番入った歌の票数は、
何と72名。
四分の一近くの人が入れたのだからすごい。
因みにこんな歌です。

・教科書も酒も西瓜もつつみ来し風呂敷にけふ位牌をつつむ

この歌にはぼくも票を入れました。
二番目は、66票。
この歌です。

・父のいたアパート、施設、病院をナビから消して迎え火を焚く

やはりコロナ禍に関わる歌が多い中で、
票の多く入った歌は、コロナ禍の歌ではなく、
それぞれの人が受け入れざるをえない現実を詠んだ歌が選ばれたことは、
選歌がしっかりなされたからではないかと思う。

こういう全国大会は、ほかの結社ではやらないのかなあ。
詠草集を作るのは大変だが、
リアルな大会がない中、
参加した会員は、うれしく思っているでしょう。
なお、書き忘れましたが、
選者は、選のコメントだけではなく、
尻取り短歌なるものに挑戦して、
その詠草も掲載されています。
何せ高野さんが仕切られたので、
選者のみなさんかなり気合が入っていました。

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誕生日

2020/10/29

郡上で小塩さん、内藤さんと雑談をしていた時に、
ぼくが内藤さんに、「誕生日同じですよね」と言ったところ、
内藤さんが糸川さんも同じではと言い出した。
今日確認したら、確かに糸川さんも同じだった。
三人そろって8月10日生まれだった。
単なる偶然なのだが、
それにしてもという思いはある。
もちろん、ぼくが一番の年上。
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「現代詩手帖」10月号の巻末の「Note」欄にこんな記述がある。

「岡井氏が2000年ごろ、大阪のカルチャー教室で使った
講義プリントが手元にある。歌作を嗜む祖母からもらった
ものだが、塚本邦雄や寺山修司の作品が氏の筆跡でし
っかり清書され、それらの歌群をめぐる詩作/注解にふ
ける姿がまざまざと浮かぶ。」

実は、私のところにもなぜか岡井さんが、大阪で行った
講座の冊子があるのだ。
こちらは、産経新聞社が主催。
会場は長居ユースホステル。
岡井さんの講義内容を録音して、
テープ起こししたものだ。
正式名称は「岡井隆短歌連続講座 第一回講演記録」となっている。
収録月日は、「1998年4月11日」とある。
これが6冊ある。6冊目は「1999年2月6日」とある。
もちろん会場が大阪だから、
私は受講していない。
この6冊はある方からいただいたものだ。
それが、誰なのかが思い出せない。
ここ数日考えているが分からない。
大阪近辺の私の知り合いだと思うが、
そもそも大阪近辺に知り合いはそうはいない。

とにかく、岡井さんはこの頃、大阪でも
あちこちで講座をもっていたことは確かなようだ。
70歳に近いころだが、
実に闊達にしゃべっていることは、この記録からうかがわれる。



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一昨日、第26回古今伝授の里短歌大会が開催された。
ぼくは前日から、選者の小塩さん、講師の内藤明さんと
大和の古今伝授の里に入り、フィールドミュージアムでの
翌日に向けての準備作業の確認と施設の見学をした。
当日は、前日とは打って変わって素晴らしい天気になった。
1時に開会し、開会行事の後、内藤さんの講演があった。
演題は「和歌と日本人・短歌と人間」。
私たち日本人にとって和歌とは何なのかを改めて
考えさせてくれる講演だった。
その後、部門ごとの講評を行って、4時前に終了。
昨年とほとんど同じプログラムで実施されたことは本当にうれしかった。
多分、日本全国の短歌大会は、ほとんど中止になったのではないだろうか。
しかし、郡上のこの短歌大会は、参加者については絞ったが、
例年とほとんど同じように開催できたことは、
特筆されるべきことだろう。
もちろんスタッフのみなさんの熱意があっての大会である。
郡上の市長さん、教育長さんは、
この短歌大会の最初から最後までいらっしゃって、
最前列の席で熱心に耳を傾けてくださった。
町全体でこの短歌大会を盛り上げてゆこうという思いが
伝わってきて、選者としてご一緒できたのは、
本当にありがたいことだとつくづく思った。
来年以降もさらに企画に知恵を絞って、
充実した短歌大会が開催されることだろう。
それと、今回特に気づいたのは、
郡上の人たちの応募短歌のレベルがずいぶん上がったということ。
毎年の短歌大会の積み重ねがじわじつと
浸透しているのではなかろうか。
これもうれしいことである。
「歌の街」としての郡上がスローガンだけでなく、
郡上の人々の心にもしみこんできた証なのだろう。




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あばな

2020/10/18

「合歓」90号のページを繰っていたら、
長沼紀子さんの10首にこんな歌を見つけた。

・唐突に郷の訛りで別れ告ぐ「あばな」とは母の受容のかたち

またしても「あばな」に出会ってしまった。
「現代詩手帖」10月号の岡井さんの追悼特集には、
「岡井隆代表歌百首」が掲載されている。
その最後の歌は「未来」2020年6月号に掲載されたこの歌である。

・ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世といへど

「阿婆世」には、「あばな」とルビが振ってある。
このルビについて、選歌した黒瀬くんは
次のように書いている。

「生前最終の発表作となった一首、「阿婆世」には
「あばな」とルビがある。別れを意味する飛騨地方
などの方言だとか。岡井隆が残した最期の謎だ。」

長沼さんのお母さんは、信州の飯田の人である。
ぼくは、岡井さんは飛騨とはあまり縁がなく、
信州にはよく出かけているので、この謎を解く鍵は、
信州ではないかと思う。
『鵞卵亭』以降の歌集には、よく信州の地名や林檎園
が登場する。
それらの歌集を読んでいた時、いつもなぜ
岡井さんの歌に信州がよく出てくるのか不思議でならなかった。
この謎を解ける人がいるとは思わないが、
解けるとしたら篠弘さんだろうか。
それにしても、最期の歌に「あばな」とは。
それほど信州は、岡井さんの心の底に錘を下ろしていたのだろうか。

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「合歓」90号を読む。
最初に読むのはもちろん
久々湊さんのインタビュー。
今回のゲストは、なみの亜子さん。
「2020年7月17日ホテルエルシエンド京都にて」という補記が最後にある。
最初はリモートかなと思ったが、
久々湊さんは実行の人だから、
やはり現地に向かったのだ。
といっても、なみのさんは、今は岸和田に住んでいるのだが。
最初の質問で、
なみのさんが愛知県の半田市生まれと知り、びっくり。
ただ半田にいたのは、長くはなく、
次は河和、そして岐阜の鵜沼、
中学は、鵜沼から越境入学で犬山中学を卒業とのこと。
高校は、高知の土佐高校。私学の名門だ。
とにかく、よく知っている地名が次々に出てきて、びっくりびっくり。
この後、なみのさんの歌集の歌を引きながら、
なみのさんの果敢なる人生について語られてゆく。
本当に久々湊さんは、話を引き出すのがうまい。
何せこのインタビューも毎号だから、
うまくなるのも当然か。
このインタビューを読んだあと、
書庫からなみのさんの歌集を
探し出して読み始めた。
まさに果敢としか言いようがない。
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「現代詩手帖」10月号が岡井さんの追悼特集を組んでいる。
短歌総合誌よりも手厚い特集というのが第一印象。
もちろん歌人はほとんど登場していない。
北川透さんが、岡井さんの豊橋時代の交遊を書いている。
題して「豊橋時代の私的交友」。
岡井さんのほうから、北川さんの家に遊びに行っていいかという
打診があって、その後頻繁に北川家を訪れていたようだ。
そのあたりのことを次のように書いている。

「それから一九九一年の三月まで、約十年間くらいだろうか、
岡井さんは。多い時は一週間に一回、少ない時でも一か月
に二回くらいは、荷台のついた婦人乗りの自転車に乗って
訪ねて来られた。わたしたちは食後の八時過ぎから、翌未明
の二時か三時頃まで、雑談にふけった。お酒を飲みながら、
とりとめもない世間話から始まるが、それは自然に詩や短歌
をめぐる話題に移っていった。」

岡井さんがこんなふうに北川さんと付き合っていたことは知らなかった。
歌人では話し相手として物足りなかったのかもしれない。
それにしても、岡井さんがママチャリを漕いでいる様子は
一度見たかったなあ。
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大波小波

2020/10/17

昨日の中日新聞の夕刊の「大波小波」欄に、
榊原紘さんの『悪友』と川野芽生さんの『Lilith』が
取り挙げられている。
書き出しはこうだ。

「現代短歌は、口語が極点に達し、文語の新しい流れが
見えてきたようだ。」

ちょっと楽観的かな。
ぼくも同じ思いを持っているが、
あくまでも願望としての新しい世界であって、
現在はまだ「極点に達し」ているとも思わない。
それと、文語を使用している若手の歌集ということなら、
ぼくとしては、笠木拓くんの『はるかカーテンコールまで』を
取り挙げてほしかった。
ところで、このコラムの最後の段落はかっこいい。

「これらを見ると、現代短歌の口語と文語は必ずしも相反しない。
深く絡み合いつつ、この苦しい日本の現実を離れて彼方へと
昇りつめて行くようだ。」

一読、皮肉を言っているのかなと思ったが、
そうではないらしい。
でも、現実逃避をよしとするかのような書きぶりで気になる。
それとも、ぼくの読みがおかしいのか。
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もう一月ほど前になるが、
「塔」9月号が届いてびっくりした。
背に「集中連載 冬道麻子を読む」とあるではないか。
冬道さんがこれまでに出した4冊の歌集について、
9月号から毎号1冊ずつ歌集評が掲載されるのだ。
9月号では、藤田千鶴さんが第一歌集『遠きはばたき』について書いている。
なぜ、突然このような特集が組まれたのか不思議に思ったが
永田和宏さんがその経緯を記していて、ようやくわかった。
冬道さんの新歌集が出るのだ。
それに合わせてこれまでに出された歌集について、
塔の会員諸氏に理解の一助として企画したとのこと。
さらに松村正直さんが「編集後記」に次のように書いている。

「集中連載 「冬道麻子を読む」が始まった。
冬道さんの歌集は現在入手が難しいが、『現代短歌全集』
(筑摩書房)に第二歌集『森の向こう』が収録されているほか、
鈴木竹志『孤独なる歌人たち』でも詳しく論じられている。
年内に新歌集も刊行の予定なので、皆さんぜひお読みください。」

ありがたいことに拙著に触れていただいている。
だが、残念ながら拙著はすでに絶版で、
当方にもまた出版元の六花書林にも一冊もない。
ぼくも自分用に一冊しかなく、
なんとも心もとないがいたしかたない。
どうしても読みたいという方は、アマゾンか日本の古本屋をあたって
もらうしかありません。
かつて調べたときは、アマゾンではかなり高額で売られていました。
今はそんなではないかもしれません。
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よき歌

2020/10/07

「ももんが」の25周年記念特輯号を読んでいたら、
こんな歌を見つけて、とてもうれしくなった。
作者は、内田朝子。

・一番星見付けたとひとりつぶやけば少し楽しく少しさびしき

内田朝子という歌人については、つまびらかにはしない。
歌集が一冊あるようだ。
存命かどうかも分からない。
何せこの記念号が出されたのは、
昭和56年の12月なので。
この特輯の執筆者で存命なのは、
中村稔くらいではなかろうか。
執筆者には外山滋比古さんもいる。
だが、外山滋比古さんもこの前亡くなられた。
外山さんは、形式的には私の大先輩になる。
外山さんは旧制の刈谷中学を卒業している。
刈谷中学は、戦後新制の刈谷高校になる。
ぼくはその21回生ということで、
形式的には後輩になるわけだ。
なお、「ももんが」には、刈谷出身の森銑三先生も
執筆している。
というより、森先生の西鶴論の八割がたは、
「ももんが」に発表されている。
なお、「ももんが」の編集者はアララギの歌人でもあった
田中隆尚である。
田中には『茂吉随聞』という好著がある。
生の茂吉が描かれていて、読みだすと止まらない。

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