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『昼の月』の最後のほうの歌はコロナ禍の歌。

・コンビニにあらずスーバーにもあらず遠き上毛の実家にすがる

前の歌にトイレットペーパーがあと2ロールしかないという歌がある。
確かに去年の春は欲しいものがなかった。
まずマスク。次に消毒液。
なぜかある時期トイレットペーパーもなかった。
それが今は、いくらでもある。
マスクに至っては投げ売りだ。
こんな歌もある。

・欲しいものネットの小窓に打ち込めばなんでも届いた二、三ヶ月前

さらにこんな歌も。

・鮭缶に温玉、刻みネギを載せいたしかたなく居酒屋たむら

店主、店員、客が同じという居酒屋。
これはこれでいいのではとぼくは思うが、
酒は、居酒屋でという人には、
緊急事態宣言の日々はどんなにか辛かったことか。
最後にこの歌。

・叔母の字でメモが添えられ手作りの<オバノマスク>が三枚届く

あのアベノマスクはなんだったのだろう。
我が家には一応しまってある。
国家予算の無駄遣いの一例として検証してもらいたい。
アベノマスクをつけている人は見たのは、イオンモールで数度だけだった。
アベノマスクよりは、オバノマスクのほうがよっぽどいいと思う。

とにかく田村さんの歌集、楽しく読ませてもらった。
こういう歌集はあまりないような気がする。



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『昼の月』

2021/06/29

田村元さんの第二歌集『昼の月』を読む。
お酒を飲む歌ばかりので、
ぼくのような少量飲酒人間には、信じられない世界。
コロナ禍以前の宇田川寛之さんと同じような世界。
でも、中には唸りたくなるような歌もある。
まずこの歌。

・妻とともに液晶テレビも出て行きて広くなりたるリビングルーム

離婚後の実に情けない部屋の様子を詠んでしまうというのが今風かもしれない。
でも、ぼくのような古い人間としては、
男の矜持というものはないのかと一言いいたくなる。
この歌もそうなのだが、
全体におかしみを出したいという歌いぶりだ。
深刻な話題も、深刻には歌わない。
それが、田村さんの矜持ということかもしれない。
お酒の歌では、この歌が実にいい。

・みちのくの田酒のうすき黄を愛でてわれが<わ>と<れ>にほぐれゆきたり

田酒は「でんしゅ」とルビが振ってある。
青森のお酒だ。
愛知県ではあまり見かけない。
青森の福士さんにこのお酒のことを教えてもらった。
東北のお酒ては、ぼくはこの田酒が一番好きだ。
青森には、豊盃というお酒もあって、
福士さんは、今はこちらが一押しとのこと。
豊盃に至っては、愛知県で見かけたことがない。
そうそう、この歌についてまだ書いてない。
下句がいい。
田酒でないとこうならないと言いたいが、
まあ、そんなこともないだろう。


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本日、かかりつけ医で、
ワクチン接種の2回目を無事終える。
今のところ、特に変調はない。
さて、明日以降も変化ないことを願う。
これから、二週間ほど経てば、
安心度も高まるだろう。
もちろん、基本的な感染対策はおろそかにしてはいけないが。
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昨日の中日新聞朝刊の「中日春秋」欄に
次のような記載がある。

教科書やノートのそばにあるラジオから声が響いている。
机に向かう若者のペンはしばらく止まっていて…。浮かぶ
のはそんな深夜の光景か。<トランジスターラジオを辞書
の上に置き会はず久しき声聴かむとす>加藤淑子。「昭和
万葉集」から引いた。昭和四十年代の歌である。

少し気になることがあるので、初出を調べた。
その結果、『昭和萬葉集』巻十七の65ページにこの
歌がのっている。昭和47年の「夜の歌」という
項目の中に並んでいる。初出は「アララギ」昭和47年
8月号とある。
さて、この歌は加藤淑子さんの歌集にあるのか。
これも調べた。
その結果、第一歌集『朱曇集』に載っている。
230ページに次の表記で載っている。

・トランジスターラヂオを辞書の上に置き会はず久しき声聴かむとす

「ラヂオ」という表記なので、『昭和萬葉集』のほうは校正ミスか、
カタカナの語については、歴史的仮名遣いを適用しないというルール
があるのかもしれない。ただ凡例を見たが、そのような記載はないので、
単純な記載ミス、校正ミスなのだろう。
ここからが私が言いたいことである。
「中日春秋」のこの歌の解釈は間違いではないかということである。
なぜなら、作者の加藤淑子さんは、この歌を詠んだ時は49歳前後
である。辞書が出てくるから、若者と思ったのかもしれないが、
加藤さんは眼科医で、非常に研究熱心であるから、辞書が傍にあるのは必然である。
辞書は、海外の文献を読むために用いていたと思う。
そして、「会はず久しき声」の解釈であるが、
こちらは二通りある、
一つは、アララギの誰かがラジオ番組に出ていて、その声を久しぶりに
聞いたという解釈。
もう一つは、恋しく思っていた人がラジオ番組に出ていたから。
当時加藤さんは結婚されていなかった。
しかし、この『朱雲集』には、恋の歌が散見するのである。
この歌の少し前にはこんな歌がある。

・夕闇に白き手袋はめにけり口づけされし手のあたたかく

ただ本音を言えば、アララギの歌人が出ていたのではないかと思う。
当時の新聞の番組欄を調べればわかると思うが、
そこまでの余裕はない。
最後に一言。
「中日春秋」は「昭和万葉集」と表記しているが、
正しくは「昭和萬葉集」なのだから、間違いなのでは。
でも、新聞社には校閲部があるから、こんな単純な間違いは
しないかもしれない。となると、新聞には、正字を用いない
というルールがあるのだろうか。






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今日の中日新聞は、岐阜の歌人の日と言ってよいだろう。

朝刊の「カルチャー」欄では、
文化芸能部の記者の松崎晃子さんが、
平井弘さんと、平井さんの新歌集『遣らず』について書いている。

夕刊の文化・芸能欄では、
小塩卓哉さんが、
四月に亡くなられた「まひる野」の歌人小林峯夫さんについて書いている。
小塩さんの記事には、昭和31年の「まひる野」の歌人たちが写った写真が
載せられている。
篠弘さんや、馬場あき子さんもいるが、
とにかく若い。二人とも20代なのだ。
貴重な写真だ。小林さんの息子さんからの提供とある。
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芥川賞候補

2021/06/11

今日の朝刊に芥川賞と直木賞の候補作品が出ていた。
どんな作品があるのかなと見ていたら、
何と
くどうれいんさんの名前があるではないか。
一瞬にして目が覚めたという感じ。
「群像」4月号に発表した「氷柱の声」が候補作となっている。
この小説は中日新聞の文芸時評でもとりあげられていたので、
読みたいとはおもっていたが、
肝心の「群像」が手に入らず、未読。
受賞すれば、読める。

それにしても4月に第一歌集出したばかりの歌人が、
今度は芥川賞候補作家として登場か。
何ともすごいことだ。

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佐久間文子さんの『ツボちゃんの話』を読み終えた。
副題は「夫・坪内祐三」。
昨年1月に亡くなった坪内さんについて、
奥様の佐久間さんが書かれた本。
坪内さんの日記シリーズを読んでいる人には、
「文ちゃん」と言ったほうが分かりやすい。
坪内さんも佐久間さんもそれぞれの相手と別れて再婚したのだが、
佐久間さんの文章を読んでみると、
平穏な家庭生活とは言えない、
いつも何かしら波風の立つ日々を過ごしていたようだ。
坪内さんの日記だけしか読んでいない私にとっては、
ずいぶん自由な夫婦関係なのだなあという感想くらいしか持っていなかったが、
この本を読んで、そんな甘いものてはなかったことを知る。
特に坪内さんの前の奥さんの神藏美子さんの写真集『たまもの』については、
率直な思いを吐露している。
なぜかぼくはこの『たまもの』の初版本を持っているが、
写真を眺めつつ、実に不思議な感じを抱いた。
別れた妻が出した写真集のメインキャストが坪内さんなのだ。
坪内さんは離婚したからどうだというようなこだわりはなかったようだ。
しかし、一緒になった佐久間さんとしては堪らない。
その思いをこの本の第11章で書いてしまっている。
書くつもりはなかったのかもしれない。
でも、どうにも収まりのつかないものがあったのだろう。
坪内祐三という稀有なライターのすべてを書くしかないと
思ったのだろう。
それから、日記だけ読んでいると、
坪内さんは、毎日好きなことだけをして
楽しんでいる人のように見えるのだが、
この本を読んで、坪内さんがいくつものストレスを
抱えているのにもかかわらず、
それを文ちゃん以外の人間には、見せないようにして
生きてきたことが分かる。
結局そういう溜め込んだものが坪内さんの心臓を弱らせていったのだろう。
それから、佐久間文子という文筆家の名誉のためにも一言書くが、
この本を読んで、ぼくは坪内祐三さんが書いてきたもの、
書こうとしたものが、今の日本の文芸には失われたものだと
いうことを教えられた。この本を読まなかったら、
ぼくはずっと坪内さんというライターについて、
誤解したまま、その著作を振り返ることもなかった気がする。


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先日、現代短歌・南の会の機関誌、「梁」の
創刊100号記念号が届いた。
超結社の会の雑誌が100号を迎えるのは、
これまでなかったのでは。
現代短歌史に残されるべき快挙だと思う。
かつては、北海道を拠点にした現代短歌・北の会、
中部地方では中の会が活動していたが、
それぞれかなり以前に解散している。
南の会だけが、初心のままに活動を続けている。
四人の発起人の中で、
今も伊藤一彦さん、志垣澄幸さん、浜田康敬さんが健在でいるのが、
継続の大きな力になっていることは間違いない。
もちろん事務局スタッフも優秀な方がいるのだろう。
ぼくも少しだけ中の会の活動に参加したことがあるが、
やはり事務局スタッフがどれだけ頑張れるかが、
一番の要だったと思わざるをえない。
事務局スタッフが疲れ切ってしまえば、
活動はしだいに鈍くなってくる。
中の会は、岡井隆、春日井建を柱にして活動をつづけたが、
柱だけでは、継続は難しい。
さて、この創刊100号記念号だが、
資料が充実している。
特に執筆者一覧がすごい。
執筆者ごとに、何号にどのジャンルの原稿を載せたかが
分かるようになっている。
これを見ていて、驚いたのは、
高野公彦さんが4回も執筆している。
しかも、すべて女性の歌集についての評。
ただ一番新しい文章でも、68号だから、
2004年に書いている。
私のあいまいな記憶なのだが、
高野さんが中心になって作った同人誌の「桟橋」は、
120号まで刊行したが、
高野さんの歌集評はあまりなかった気がする。
だから、「梁」で4回書いたことは特筆に値すると思う。
それから、もう一つ驚いたのは、
志垣さんが100号のうち、
作品を掲載しなかったのが、1回だけということ。
因みに伊藤一彦さんは83回出詠。
しかも、「梁」の場合はあくまでも投稿原稿扱いということだから、
出詠は自由意志なのだ。
発起人だから、出詠しなくてはいけないというルールはないようだ。
そういう点からも、志垣さんの99回出詠はおどろきだ。
すでに14冊の歌集を志垣さんは出しているが、
歌集を出す源は「梁」への投稿だということも、
この資料を読んで分かった。
丁寧に読めば、さまざまな驚きをもらえる気がしてならない。
なお、「梁」は今後も刊行されてゆくとのことである。
これもうれしい。

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