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「灯船」25号を何とか4月中に出すことができた。
時評で、塔短歌会の逢坂みずきさんの『まぶしい海』を取り上げた。
東日本大震災後前後の日々の日記が中心だが、
短歌、詩も多く掲載されていて、
若い世代の思いをしっかり伝える内容になっている。
また米田靖子さんが、安立スハルさんについて書いている。
安立さんが奈良を訪れた時に、
ご主人の車で飛鳥を案内して回ったことが書かれている。
もうコスモスの仲間でも、
実際に安立さんに会ったことのある人はほとんどいないだろう。
そういう点でも貴重な文章である。
さらにこの号から、
木畑紀子さんの連載評論「高野公彦歌集を読む」が始まった。
散文もかなり充実してきたのではないかと、
自画自賛と言われるかもしれないが、
少し大きな声で伝えたい。

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11時過ぎに車で買い物に出て、
NHKラジオの「文芸選評 俳句」をを聞いていたら、
あれっ、どこかで聞いた声だなあとは思っていたが、
名前が浮かんでこない。
しばらくしてアナウンサーが「北大路さん」というので分かった。
北大路翼さんとは、
24日にあったばかりだから、
聞き覚えのあるのはあたり前だった。
それにしても、北大路翼さんは、
もう宗匠クラスの俳人なのかと改めて感心した。
しばらく前に栄のジュンク堂で、
北大路さんの句集を購入した。
『見えない傷』という題の句集で、
2017年以降の句がまとめられている。
少し紹介する。

・問診に嘘少しまぜ春の昼
・社に戻るソフトクリーム髭につけ
・ビアガーデン飛べると思ったことがある
・愛なんて天道虫が翅たたむ
・ナイターのつけてはすぐに消す点差

書き出したら止まらないので、
このへんで。
春陽堂書店刊行で税別1800円だから、
なかなかリーズナブルな句集た。
関心のある方は、
どうぞお買い求めを。

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「短歌」5月号に
「ある作家の死」と題する12首が載る。
角川「短歌」にぼくの歌が載るのは、
ひよっとしたら30年ぶりくらいな気がする。
当時のI編集長から、矢継ぎ早に原稿依頼があって、
その頃一回だけ歌も載せてもらったような気がする。
あくまでも気がするだけで、
証拠はどこにもない。
書庫を探せば、クリアファイルにコピーがあるかもしれない。
さて、ある作家とはもちろん「西村賢太」氏。
小説は全く読んだことはないが、
「日乗」シリーズは、本になったものはすべて読んでいる。
日記好きのぼくには、坪内さんや西村氏の日記が
たまらない。
マンネリという評もあるが、ぼくにすれば
マンネリでいいのだ。
ところで、今読みだしている日記は、
木山捷平の『酔いざめ日記』。
講談社文芸文庫。
747ページある。
だから高い。税別2500円。
昭和30年1月2日には、こんなことが書かれている。

井伏氏訪問。午後二時すぎ。先客に古川洋三君あり。
ついで松本清張氏来る。藤原審爾君来る。将棋をさす。
十時頃辞去。

古き良き文壇というものの存在を
感じることのできる記録がつづられている。

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片岡絢さんの第二歌集『カノープス燃ゆ』(六花書林)にこんな歌がある。

・球場に満ちる祈りのエネルギー これを平和に向ければ凄い

まさに今、多くの人が祈り続けている。
この祈りが力となることを祈るしかない。

こんな歌もある。

・思ふのみ思ふのみだが戦の地シリアの妊婦を思ふことあり

「シリア」を「ウクライナ」に換えても通用するようになったこと自体、
何ということだろうと思う。
しかも、シリアの内戦も終結しているわけではない。
ミャンマーもそうだ。
報道の選択によって、
私たちは、実は本当のことをあまり知らないのかもしれない。
報道が伝えるのは、世界のほんの一部のことかもしれない。
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何とか「コスモス愛知」550号を記念号として
刊行することができた。
巻頭に小島ゆかりさんから、
「「そうなのかあ」と「そうかなあ」」と題するエッセイ
をいただいた。
愛知支部の歌会の思い出に寄せて書いていただいた
文章だが、とても味わいのある文章で、
早速届いた礼状にもコメントがあって嬉しい。

それにしてもよくここまで来たなあと思う
実は508号までは月刊だった。
月刊時代の編集担当は皆亡くなられた。
508号で休刊となり、
一年半後に復刊。
もちろん月刊は無理、年二回の刊行となる。
その後も、なかなか大変だったようだ。
というのも、ぼくが本格的に編集に関わるようになったのは、
517号からである。
それでももう16年以上編集しているわけだ。
この辺のことも将来のために簡単に触れておいた。

この550号を読みたい方は、ご連絡ください。
差し上げます。

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題詠大会

2022/04/20

10時より、朝日カルチャーセンターの講座。
欠席者は三名。
三名ともご主人に関わる事柄で欠席。
それぞれに辛い思いを抱えつつ、
カルチャセンターに通ってきていることをつくづくと思う。
提出された詠草の講評の前に、
恒例の歌集紹介。
今日はもちろん米川千嘉子さんの『雪岱が描いた夜』を紹介。
定刻の11時半には終了。
全員出席の場合は、10分以上はオーバーしてしまう。
ところで、紹介しなかったが、
この歌集にはこんな歌もある。

・コロナ大題詠大会はいつ果てむあたらしき題はだれが与へむ

この歌は、何とも鋭い予見の歌となってしまった。
もちろん、新しい題が与えられてしまった。
与えたのは、ロシア。
さて、この題詠大会はいつまで続くのか。
もちろん、今日の詠草にもウクライナ侵攻の歌は多く詠まれていた。
逆にコロナ禍の歌は、ほとんどなかった。
そういえば、コロナを理由を欠席していた人も
もう今日は一人もいなかった。
題詠の題は、変わってしまったようだ。


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礼状

2022/04/19

今日の郵便は葉書二通のみ。
ところが、この葉書は、共に拙文への礼状。
一通は、東浦文化協会の短歌会の機関誌「しののめ」に
連載している「歌集瞥見」への礼状。
もう一通は、「コスモス」に載せた文章への礼状。
わざわざ礼状をくださるということに対して、それだけで
感謝の思いが湧いてくるが、
その内容がさらに嬉しいもので、
余計に感謝の念が深くなる。
しかし、自身のことを振り返ると、
あまり礼状を書いていないということにはたと気が付く。
そして、反省した。
やはり書こう。
そんなことを考えさせてくれた礼状二通であった。

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こんなコロナ禍の歌がある。

・ふたたびの自粛始まり今日われが話すセキレイ・コサギ・わが夫

話し相手は、ご主人しかいなということかな。ただ鳥と並列というのが
少し気にはなる。
ご主人は、こんなふうにも詠まれている。

・無精ひげの夫を見るなし真面目にて長病みをせず被災せざれば

要するに無病息災ということなのだ。
結句が少し重たい。

こんな歌もある。

・歌はすこし自分の型に倦んでゐるの 寒風にからだ澄みゆく鷺よ

「型」には「かたち」とルビが振ってある。
短歌を比喩的に詠んでいる。では、「鷺」も比喩なのか。

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『雪岱が描いた夜』には、コメントしたくなる歌が
たくさんあるので、しばらく続ける。
まずこの歌。

・マスク無きひと日におもふ啄木に似合ひて牧水に似合はぬマスク

確かに牧水がマスクしているというのは、似合わないなあ。
さらにこんな歌。

・三か月籠もればほとんどの歌の友もともと籠もることが好きだと
・たいていは一人が好きな歌の友が集まり話すときの楽しさ

同感、納得としか言いようのない歌。
一人が好きだから、短歌を詠んでいるんだろうなあと
しみじみと思う。

ひとのにほひ恐かりし若きわれならば喜びにけむコロナ禍の距離

この敏感な嗅覚については、ぼくにはわからない。
歌のほうは、距離を空けたままでいいのかという思いであろう。


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4月14日

2022/04/14

名古屋駅前の毎日文化センターが、
3月中旬に閉鎖となり、
4月からは、名鉄カルチャースクール名駅が
後を引き継いだ。
今日は、その第一回の講座。
講座名も「短歌を愉しむ」に変更した。
受講生は全員出席で、新学期のスタートとなる。
まず米川千嘉子さんの『雪岱が描いた夜』の歌を紹介する。
まずこの二首。

・肘タッチの部族とはなる 菅首相の暗きまなこの記憶とともに
・あはれあはれ一字ちがひの菅丞相柘榴吐きたる学問の神

「菅丞相」は、もちろん菅原道真のこと。
その他数首紹介。
さらに「塔」4月号に掲載されている受講生の歌を一首紹介。
こういう歌。

・寂聴を悪しざまに言う禅僧にじゃあやってごらんと言いたくなる

その後は、受講生の歌について、一首ずつ講評。
帰宅は、12時半近く。
その後、印刷会社へ出かける。
「コスモス愛知」の発送作業を愛知支部の仲間と行う。
さらに「灯船」25号の再校の確認を行い、校了とする。
帰宅は午後4時近く。

「歌壇」5月号が届いている。
立花開さんの歌集評が掲載されている。
こんなに若い人の歌集評を書いたのは、初めてだ。

いやあ、忙しい日だった。
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