小林峯夫氏逝去
2021/04/17
小林峯夫さんが4月14日に亡くなられた。
「まひる野」の重鎮であり、篠弘さんと同学年である。
「まひる野」4月号には、こんな歌がある。もう死を覚悟されていたようだ。
・赤紙を受くる心に重なるやステージ4を告げられている
・刻々に消えゆくもののわれに在る確かなるもの 今 という時
小林さんは、第四回中日短歌大賞を『五六川』で受賞している。
ぼくは、この時小林峯夫という歌人のことを初めて知ったと
思い込んでいたが、実は、ずっと以前に、
小林峯夫という歌人に出会っていた。
昭和64年に高野さんの『地球時計の瞑想』が出たが、
その中の「こひねがふ国御座なく候」という評論で、
小林さんの第一歌集『はばき』の「宝暦挽歌」と題する
一連45首の中のこの歌を取り上げ、3ページ近くにわたって
この歌について考察をしている。
・死するか狂はすはいまの世にわれらこひねかふ国御座なく候
この評論集を読んだ時に、すごい歌を詠む人がいるんだなあという
感想を抱いたことを覚えている。
ただ小林峯夫という歌人が隣県の岐阜にいるとは思ってもいなかった。
中日短歌大賞の受賞式の時、
小林さんに高野さんのこの評論について話したところ、
もちろん小林さんは承知していた。
ただあれだけの文章を書いてもらったのに、
礼をしていないのが残念だとおっしゃっていた。
それから、数年後にお会いした時、
現代歌人協会の会合か何かで高野さんに会って
やっとお礼を言うことができたと、
嬉しそうに話してくれた。
この時が小林さんとお会いした最後だった。
どうぞ安らかにお眠りください。
「まひる野」の重鎮であり、篠弘さんと同学年である。
「まひる野」4月号には、こんな歌がある。もう死を覚悟されていたようだ。
・赤紙を受くる心に重なるやステージ4を告げられている
・刻々に消えゆくもののわれに在る確かなるもの 今 という時
小林さんは、第四回中日短歌大賞を『五六川』で受賞している。
ぼくは、この時小林峯夫という歌人のことを初めて知ったと
思い込んでいたが、実は、ずっと以前に、
小林峯夫という歌人に出会っていた。
昭和64年に高野さんの『地球時計の瞑想』が出たが、
その中の「こひねがふ国御座なく候」という評論で、
小林さんの第一歌集『はばき』の「宝暦挽歌」と題する
一連45首の中のこの歌を取り上げ、3ページ近くにわたって
この歌について考察をしている。
・死するか狂はすはいまの世にわれらこひねかふ国御座なく候
この評論集を読んだ時に、すごい歌を詠む人がいるんだなあという
感想を抱いたことを覚えている。
ただ小林峯夫という歌人が隣県の岐阜にいるとは思ってもいなかった。
中日短歌大賞の受賞式の時、
小林さんに高野さんのこの評論について話したところ、
もちろん小林さんは承知していた。
ただあれだけの文章を書いてもらったのに、
礼をしていないのが残念だとおっしゃっていた。
それから、数年後にお会いした時、
現代歌人協会の会合か何かで高野さんに会って
やっとお礼を言うことができたと、
嬉しそうに話してくれた。
この時が小林さんとお会いした最後だった。
どうぞ安らかにお眠りください。
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