溺れる犬

2012/04/30

坪内祐三の新刊『文藝綺譚』(扶桑社)
の「第十二夜 大相撲のないこのわずかな数ヶ月の間に」を
読んでいたら、
266頁の8行目にこんな表現があって嬉しくなった。
というより懐かしかった。

「これはまるで溺れる犬に石をぶつけているみたいだ。」

この「溺れる犬に石をぶつける」の出典は、
魯迅の『両地書』のものだ。
魯迅は、敵を倒すためには「溺れる犬に石をぶつける」
ようにとことん痛めつけないといけないと言ったのだ。
ということは、坪内の使い方は、
魯迅に照らせば正しくない。
坪内は弱い者いじめのニュアンスで書いている。
それはそれでいい。
ただこの種の弱い者いじめは、
今日のマスコミの病弊であることは間違いない。
誰かが叩き始めると、
別の者たちが、どんどん石をぶつけだすのだ。
本当にいやだ。
なぜマスコミはそういういやなことを平気でやるのだろう。
多分勇気がないのだろう。
石を投げない勇気がないのだ。
石を投げることによって
免罪符を得られるのだ。
免罪符が欲しくて仕方ない。
孤立するのは嫌なのだ。
ああ、嫌だ嫌だ。
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非公開コメント

No title

4ヶ月も過ぎてすげーいまさらだけど
魯迅の「打落水狗」は”元々『不打落水狗』(弱者や敗者に不要に攻撃するな)”という諺が有ったって言う下地があって、「潔く負けを認めるか不屈の闘志で立ち上がり正々堂々と再起を誓う者相手でなければふさわしくない」という思いから生まれてる物であって、
「弱い者いじめするなという意図で使うのは誤用」なんて言う発想は根本から間違ってるぞ
文脈からいって「元々あったのは知ってたけど魯迅の意図と違う」って言う逃げ道は認めない
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