釜石のこと

2011/06/28

かつて牧羊社という出版社から刊行され初めて
結局途中で終わってしまった
『自選100歌選』シリーズの
大西民子集を必要があって
再読していたが、
「あとがきにかえて」を読んでいて、
釜石という町の悲運というものに
つくづく思いいたった。

「私の赴任したのは岩手県立釜石高等女学校、
まだ二十歳の教員であった。翌年終戦まぎわ
になって、釜石は艦砲射撃を浴びることにな
ったが、海岸伝いの直線距離で数十キロメー
トル離れた陸前高田市にはそのころ母と妹が
住んでおり、昼も夜も続く砲撃の音はその町
まで聞こえ、北の空が真っ赤になるのも見え
たという。釜石が全滅したと聞いた母と妹は、
攻撃が終わったら、せめて死体だけは探しに
行こう、と話し合っていたという。通信手段
もなくて私は遠野に逃れて生き残っているこ
とを、家族に知らせることさえも出来ないで
いたのであった。そのようなつらい思いも、
のちの日になって親子三人で話し合うことも
あったが、そうした共通の思い出を語り合う
家族は、だれ一人いなくなってしまった。」

昭和61年1月4日と日付が記されている。
釜石という町は何度も試練にさらされてきた
のだと、無知な自分を恥じながら、粛然とした気持ちで
大西さんのこの文章を読んだ。
もちろん、大西さんの人生そのものも
悲劇の連続というしかないものであったが。
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