永井陽子さんと「人」

2013/09/28

「白鳥」は主宰の成瀬有の追悼特集をもって終刊を迎えた。
この終刊号に掲載されている成瀬有の年譜に
次のような記述があって驚いた。執筆者は、一ノ関忠人氏。

1973年
12月、岡野弘彦を主宰とする「人」創刊に
松坂弘、奈良橋善司、中井昌一、藤井常世らと
共に中心メンバーとして参加。創刊には下村光男、
鎌倉千和、永井陽子らが加わっている。

永井陽子はすでに1969年に「短歌人」に入会している。
しかし、「人」創刊に参加しているとは思わなかった。
もちろん、全歌集の年譜には、
そのような記述はない。
だから、ぼくは執筆者の一ノ関さんに確認した。
「短歌人」の永井陽子さんと同姓同名の方が、
「人」創刊に参加していたのですかと。
返信はすぐ届き、
間違いなく「短歌人」の永井さんとのことだった。
なぜ、永井さんは、「人」創刊に参加したのか。
「短歌人」の編集委員のUさんにも聞いてみたが、
分からないとのことだった。
ところが、一ノ関さんから連絡があって、
「永井陽子、岡野弘彦」で検索してみると、
この謎が解けるとのことであった。
確かに検索して分かった。
現在、京都造形芸術大学の教授である中路正恒氏に
誘われて「人」創刊に参加したようだ。
当時、中路氏は、京大短歌会に所属していた。
永井さんは、中路氏ともう一人京大短歌会の女性メンバーと
三人で京都で会ったということも中路氏は、
ご自分のブログで書いている。
問題は、
なぜ永井陽子さんは、
この事実を葬ってしまったのかということになる。
この辺りの事情を知っているのは、
詩人の大西美千代さんくらいしかいないだろう。
亡くなられた青柳さんは、知っていたのだろうか。
全歌集の年譜は青柳さんが書いた。
知っていて、書かなかったのか、
全く知らなかったのか。
ぼくの勘では、青柳さんは知っていた気がする。
でも、書かなかった。
なぜなのか。
まだ謎は残る。

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