「棧橋」41号

2014/10/18

書庫を少し整理していて、「棧橋」41号が目にとまった。
というのも、
小高賢さんが、
柏崎驍二さんの歌集『月白』の評を書いているのを見つけたから。
因みに41号の発行日は、1995年1月。
もう20年近く前。
小高さんはまとめのところでこんなことを書いている。

「短歌をつくりつづけるということは、自分の生き方を確認
する行為である。と同時に、先輩のあとをついていくことで
もあろう。そんな当たり前のことの大事さを、『月白』をくり
かえし読むことによって、さらに私は確認したのである。」

近頃の若い短歌をしている人たちは、
この「先輩のあとをついていくこと」が
どういうことなのか分からないようだ。
だから、結社に入らない。
「己」が可愛くて仕方ないのだろうか。
「先輩のあと」についていくことは、
「己」を押さえることも必要なのだが、
多分、今の若い短歌をしている人たちはできないのだろう。
しかし、できない人は、結局短歌をしていても、
短歌は詠めないだろう。
今年の夏、加藤治郎さんと話をしていたときにも、同じ話題になった。
治郎さんも若い短歌をしている人たちが、
結社に入らないことを憂えていた。
ところで、
41号の「編集後記」で高野さんが書いている。
高野さんにこういうことを書かれると、
ぼくらはいったいどうしたらいいのだろう。

「歌が出来ないといふことは、苦しいことである。私も時をり
その苦しみを味はふ。もしかすると、このまま永久に歌が作
れないのではないか、と思ふ。しかし、「歌が出来ない時間
」をやりすごすと゜、また少し歌が出来るやうになる。ガマン
しか無い。」

「ガマンしか無い」んだ。
うーん。



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