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また「塔」1月号を見ていたら、
7頁の「わたしのコレクション」を見付けてびっくり。
金田光世さんという方が、
小林久美子さんの『恋愛譜』の歌を取り上げているではないか。
文章を読んでゆくと、
金田さんは、相当小林さんの歌を読み込んでいるようで、嬉しくなった。
『恋愛譜』は第二歌集。
第一歌集は『ピラルク』。
「パピエ・シアン」も、表紙のイラストは描いているようですが、
作品も文章も見かけない。
どうしているのかなあ。
気になる歌人だ。
そうそう、妹さんは、東直子さん。

ついでにこの1月号の吉川宏志さんの歌にこんなのが。

・ダネイホンわたしも欲しい 薄黒く駅を濡らしてゆく冬の雨

「薄黒く」が独特。
こういうふうに詠まざるをえなかったのだから、
「ダネイホン」は必要かな。
それにしても、吉川さんも朝ドラ見ているんだ。
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「歌人集団・中の会・会報」第14号。
こんなものが出てきた。
発行日は、昭和60年12月8日。
「特集 山中智恵子研究」とある。
執筆者は6名。4名は面識あり。
村田治男という人と尾崎真奈美という人は面識もないし、
現在の消息も知らない
さて、ここからが本題。
新入会員の欄があって、
こんな人の名前があるのが、びっくり。

・加藤孝男
・荻原裕幸

お二人は、中の会は、かなり遅れて入会していたのだ。

ほくは、残念ながら中の会の会報をすべて入手していない。
もちろん、ぼくも途中入会だからたが、
中の会の会報の書誌を誰かが作っておかないと、
中の会の活動は、現代短歌史に残ることなく、
消え去ってしまう気がする。
岡井隆、春日井建が中心となって、
巻き起こした活動が雲散霧消してしまうとしたら、
とても残念なことだ。
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2月16日に名古屋市短歌会館で
「刑務所の彼女たちの短歌」と題する講演会があります。
講演者は、中部短歌に所属する村井佐枝子さんです。
村井さんは、現在刑務所の女性受刑者を対象に短歌を教えています。
すみれ会と名付けられた短歌のクラブの指導者として、
これまでどんなふうに指導してきたかを語ってくれます。
現在のクラブ員の詠んだ短歌、
過去の短歌作品の中から特に優れた短歌を
紹介してもらえます。
興味関心のある方は、ぜひご参加ください。
会費は無料で、先着40名です。

時間ですが、
名古屋市短歌会館第12会回短歌大会の表彰式と作品講評が、
13時から14時過ぎまでありますので、
講演の開始は、14時10分前後になるかと思います。
早めに来ていただいたほうが無難です。

なお、短歌大会の作品講評は、
ぼくと塔短歌会の吉田淳美さんが行います。
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『ほおずき三つ』の小池光さんの跋文にこんな一節がある。

「最初のころの後藤さんの歌は、なかなかたどたどしいもの
であった。いい年になってはじめて短歌など作ることになった
のだから、これは当然であろう。しかし、キャリアを経るにつけ、
たどたどしさが薄れ、ちゃんと読める歌を作るようになった。
カルチャーとてばかにするものでない。伸びる人は伸びる。
後藤さんはその一人である。」

ぼくもいくつかのカルチャーで講師をしているが、まさに「カルチャー
とてばかにするものでない」ことを常に味わっている。教えられ
ることも多い。十年選手はいくらでもいる。ただカルチャーのみで、
特に結社に入ることは考えない人というのは、確かに伸びるという
点では、厳しい。でも、それを承知でカルチャーに来ているから、
あまり結社への加入については、は言わない。言わないが、
自分でそろそろ結社に入って何とかしたいと思う人はやはり伸びる。
伸びる度合いは、人によって違うが伸びることは間違いない。
結社の力というものは、侮れないと思う。
若い人は結社に入らない人が多いが、
はたしてそういう人が10年、20年先に短歌を続けているかと
いうことになると、どうだろう。何%の人が残るだろうか。
結社の力というものを、今の若い人たちに考えてもらいたい。
束縛だけを言っても仕方ないと思う。
所属することによって得られるものが何かということだろう。
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「短歌人」に所属する後藤祐子の第一歌集『ほおずき三つ』(六花書林)を読んだ。
久し振りに読後感の爽やかな歌集を読んだという気になった。
1945年生まれ。
ぼくより五歳年上。
でも、体験は似通う。
たとえば、こんな歌があり、子供時代を懐かしく思い出した。

・ワタナベのジュースの素で乾杯すクリスマスイブわたしの昭和

いやあ、懐かしい。あの甘さの素はなんだったのだろう。
厨歌がいい。三首挙げる。

・手を出してやめし習い事あれやこれ里芋つるりシンクに落とす
・おさなごの足裏そっとたたくよう採りたての葱の泥おとしせり
・ああさみし折れそうになる日暮れ時がむしゃらに刻む青葱刻む

跋文を小池光さんが書いている。
その中にこんな歌についてコメントがある。

・ファックスにタイより歌稿おくるたび小池和子さんの手間ふやしけり

小池さんはこう書いている。

「亡き妻の名前が不意に出てきて、胸が熱くなる。」

小池和子さんは、小池さんの奥様だったのだ。

ご両親、お兄さん、弟さんへの挽歌も心を打たれる。

・父母ありき兄弟ありき参道に下駄の鈴の音響いていたり

「ありき」がずしんと重く伝わる。

最後にこの歌を挙げる。

・くりかえし賀状の一行読み返す「うたに苦楽あります」そうよね

「そうよね」にこちらの気持ちもどっと動く。
そう、ぼくらは、短歌に関わり生きているが、
「苦楽」をともにして生きるしかない。
時に「苦」が恐ろしい顔をして迫ってくるが、
きっと楽しいこともあるはずと信じている。

とにかくいい歌集だ。
多くの方に読んでいただきたい。
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「まひる野」2月号を読む。
島田修三さんが「素人、恐るべし」という評論を書いている。
その中で、広坂早苗さんが、「六花」3号に書いた文章について
言及している。広坂さんが忘れられない歌として取り上げた歌を
島田さんも覚えていると書き、多分朝日歌壇掲載歌と書く。しかも
近藤芳美の選歌欄ではないかと。
こういう記憶の仕方は感心するしかない。一読で覚えてしまう才能だ。
高野さんや小島ゆかりさんもそうだ。
歌を覚えるということが、苦にならない、というより、自然に覚えてしまうのだろう。

ところで、この号の「十七人集」によく知っている方の作品があって嬉しかった。
8首も採られている。某カルチャーセンターのぼくの教室にいる方だ。
もともとは、俳句をやられていたが、今は短歌中心になっている。
「まひる野」に入ってから、さらに生き生きと短歌を詠むようになった。
これが、結社の力だと思う。
別の言い方をすれば、「まひる野」の水が合ったのだろう。
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『前科者 1』を読み終えた。
コミックである。
主人公は、20代と思われる女性保護司。
保護司は国家公務員であるが、無報酬。
完全なボランティア。
裁判員裁判の裁判員でも報酬があるのに、
保護司にはないというのは、
どうにも理解できない。
それはいいとして、主人公は、
生計を維持するために、新聞配達とコンビニの店員をしている。
なぜ主人公がアルバイト生活をしているのに、
保護司の仕事を続けているのか。
その動機とか主人公の生い立ちについては、
この巻では触れられていない。
次巻以降語られるのだろうか。
第2巻は、確か今日発売だ。
さて、この巻では、結局保護司としては、失敗する。
つまり、担当した仮釈放の男がまたしても犯罪を起こしてしまう。
ただ、最後の最後で、
少し希望は見えたかなという気がする。

それにしても、こういう題材がコミックで描かれるということは、
コミックは侮れないなあとつくづく思う。
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東直子さんと穂村弘さんが対話形式で作った本が『しびれる短歌』。
筑摩書房の「ちくまプリマー新書」のラインアップにあるから、
若者向けの短歌の入門書として出された本だが、
そう簡単な本ではない。
ぼくのような短歌の世界に関わって40年以上の者にも面白いし、
なかなか歌の選択もハイレベルだ。
それで200ページ以降に「歌壇の話」という章があって、
ここがやたらに面白い。
まずはこんな感じ。話し手は穂村弘さん。

「加藤さんから知ったことは、当時の短歌の世界では、
結社なり集団に所属するほうが普通だということ、
歌集を自費出版するのが普通だということ、この二つ。
あまりうれしい情報じゃなかった。(笑)」

「加藤」というのは、加藤治郎さんのこと。穂村さんが初めて会った歌人が
加藤さんだったようだ。
東さんも加藤さんが初めて会った歌人とのこと。
1980年代は、
加藤さんは東京の人だったから当然だろう。
さて、この二つの普通のうち、
結社や集団に所属しなくても、普通でないということはなくなったようだ。
新人賞の予選通過者にも無所属が多くなった。
歌集の自費出版は、今も続いている。
こちらは、いまだに普通のことだ。

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書誌

2019/01/29

昨日とりあげた『短歌一生』の書誌を記しておく。
昭和62年1月10日第1刷発行。
ぼくのものは、第2刷。同年2月20日発行。
購入日が記してあって、同年3月17日。
講談社学術文庫から出され、771番。
単行本でなく、この文庫本で出したのは、
上田三四二の意志であろう。
多くの人に手にとってもらいたいという。
なお、この二年後に上田は亡くなる。
意志というより、この本は遺志というべきかもしれない。
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上田三四二の『短歌一生』を久し振りにのぞいた。
嬉しい言葉が次々とあらわれる。
今日はここを紹介する。
116頁。

短歌の本領は、やはり日常詠にあるというべきだろう。そして、
日常の特色は、その持続性にある。おなじことの繰り返し。
しかしおなじことの繰り返しのうちにおのずから哀歓の濃淡
があり、季節の移りがあり、人間は歳を重ねてゆく。日常詠とは、
そういう人間の営みを、おのれに即してつくづくと観じるところに
成立する。

この言葉の実践の典型が、二宮冬鳥の歌である。

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