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午前に久し振りに文化のみち二葉館を訪れた。
風媒社を起こした稲垣喜代志さんの展示がされていて、
18日までなので、今日しかないと思い、出かけた。
稲垣さんは昨年亡くなられたが、
ぼくは一度だけお会いして、お話をしたことがある。
しののめ短歌会の前任の講師の古島哲朗氏の
出版記念の会にいらっしゃっていたのだ。
風媒社の稲垣さんの名前だけは以前から知っていたので、
お会いしてお話ができたのは嬉しかった。
というのも、稲垣さんは、元々は刈谷の人なのである。
刈谷出身の人で、文化的活動をしている人はそう多くないので、
ぼくも記憶していたのだ。
ただ稲垣さんは刈谷の町が嫌いだったと思う。
でなくては、トヨタの暗部を描いた本を出すことはなかったと思う。
そうそう、展示のテーマは、
「反骨の編集者稲垣喜代志の眼差し」となっていた。
愛知県出身で反骨の代表と言えば、
杉浦民平だが、
風媒社が杉浦民平の本を多く出しているのも
むべなるかなと思った次第である。
展示を見たあと、館長さんと少し話をして、
午後の講義のある大学に向かった。
大学には12時過ぎに着いたが、いつもよりは少し早く着いた。

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春日真木子さんの第13歌集『何の扉か』(角川書店)
を読んだ。
92歳になられたが、
歌は実に若々しい。
宮英子さんの晩年の歌にも感じたが、
本当に自由奔放に詠んでいる。
そんな歌を挙げてみる。

・いたはられ座るほかなししほしほと炎昼こもるわれは「ゑ」の字に
・菊坂か、紅梅坂か杖捨ててわが夢の坂足かるかりき
・さくら散る時間の光を曳きて散る 何の扉か開やうなる
・何いろにわが眼に映る今年花 憲法九条あやふきときに
・青草の韮を散らしし粥啜る八・一五われは民草
・近き日はマイナンバーを記すにや老いの胸にも蝶の翅にも
・風の渦黄葉の渦にまかれをり回収ちかき吾と洗濯機
・老いたるは化けやすしとぞくさかんむりかぶれば花よ 私は生きる
・乾きつつ直ぐ立つ木賊の小集団わが在らぬとき手をつなぎゐむ
・花桃のひらきてわれは九〇歳 ああ零からの出発の春
・九〇歳は吉事にあらめこれよりはボーナスタイムよ朗ら澄む空
・中年が宙年ならば老年は牢年なりや 朗年とせむ
・鳩寿なるわれと並びて二歩三歩土踏む鳩の歩みは優し
・九十歳に一つを加ふこれよりはほぐれよはぐれよ春の自由へ

政治に関わる歌もあるのが、
春日さんの歌の一つの特徴だろう。
老いたるとはいえ、申すべきは申すという信念があるのだろう。
水甕の主宰としての気構えも伝わる一冊だった。
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雨の歌

2018/11/14

三枝浩樹さんの第6歌集『時祷集』(角川書店)には、
雨の詠まれている歌が多くあるが、
その中でも、この歌にどうしようもなく、引き込まれた。

・八王子を過ぎて車窓にひかるものほそくふるえてすじを引きたり

直接「雨」という語を用いてはいないが、
雨の歌である。
雨をこんなにも繊細に詠んだ歌はないと思う。
この歌の背後には、暗澹とせざるをえない現実があるが、
それはここに書くことではないので、
意志のある方はこの歌集を手にとってほしい。
この歌の次にも雨を詠んだ歌がある。
こちらにも「雨」という言葉は用いられていない。

・絹糸のなかにとりどりの傘見えていまにも壊れそうな夏空


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「塔」11月号をいただいた。
編集後記の吉川宏志さんの文章を読んで、
いろいろ考えてしまった。
9月にお母様が亡くなられたことに触れて、
吉川さんの決断に関わって、
お母様が三度「ひどく泣いた」ことについて書いている。
ここから、何か書こうとして書けない。
母と息子との関わりは、どうにも難しい。
私の母は存命だが、
今だにお互いにやりにくく思っている。

永田和宏さんの歌が、素直におもしろい。

・寝てゐる奴の横にしつこく立ちながら講義を続ける しかし起きない
・格段に講義はうまくなりたれど何かが足りないこの上手さには

私も、寝ている学生の横で話すことはあるが、
「しつこく立」つことはない。すぐ引き返す。
まあ、立っていても、だいたいは起きない。
バイト疲れとか睡眠不足で、
大学で疲れを癒し、睡眠不足を解消しているのだ。

二首目の歌はすごい。
私は今だに後悔ばかりだ。
まあ、永田さんとはキャリアが全然違うから仕方ないか。
ぼくはまだ大学の講義は8年目だ。
この先も「上手」になる気はしない。
これからも後悔しては、続けてゆくのだろう。

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永田紅さんの第四歌集『春の顕微鏡』(青磁社)にこんな歌を見付けた。

・町内を回覧板は回るなり永田→田中→中川→川端

詞書がある。「岩倉長谷町 嘘のような並び」。
回覧板を回す順番がしりとりになっているというのは、
驚くしかない。仕組むようなことではないのだから。
この長谷町の家には、
当然ながら今は永田和宏さんしか住んでいない。
しかし、永田さんは、世界中を駆けめぐっているから
あまり自宅には帰ってこない。
この歌の前にはこんな歌があった。

・日中は無人となれる家なればしゃあないなあと家が留守居を

家のほうで永田さんが不在のときは何とかしてくれるのだろう。
今度は違う方面の歌。

・起きてから食べむと置きし私の菓子パン食べてしまえり夫は

ありがちだが、食べものの恨みはなかなか後まで消えない。
ただ私の関心は、この「菓子パン」の種類だ。クリームパンなのか、
餡パンなのか。
私の予想は餡パンだが、果たして真相やいかに。
最後にこんな歌を。70歳以上の方には
もう理解できない世界かもしれない。

・グーグルがホリデーロゴになっている日の夕暮れにクリックしたり

ところで、この歌集には栞紐が二本ついている。
もちろん色も変えてある。朱色と桃色。
なんか得した気分。




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「幻桃」11月号が届いた。
特集は「石田比呂志」。
一瞬意外な感じがしたが、
よくよく考えたら、当然だと思い直した。
「幻桃」を創刊したのは「未来」の今西久穂だったし、
引き継いだ松村あやも「未来」である。
だから、一時期はかなり「未来」において、
存在感を示した石田について、
「幻桃」が特集を組むのは当然だと言える。
簡単な年譜があって、
石田の「未来」入会は、1959年とある。
74年に「牙」復刊、
75年に熊本に移るとあるから、
このあたりで「未来」と距離をとりつつあるのだろう。
正式にいつ「未来」を離れたかは記してない。
一度だけ石田さんにお会いしたことがあるが、
何とも豪快な九州男児で、
一度しかお会いしていないのに、
未だにあの時の石田さんのお顔を忘れることはない。
一緒に写真も撮り、保存してあるはずだ。
石田比呂志という巨人について、
正面から取り組む歌人が現れないかなあとつくづく思う。
スケールが大き過ぎて難しいとは思うが。
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蒲郡の俊成短歌大会の案内が届いた。
何と、来年の4月29日の短歌大会の講演は、
小生が担当。
題目は、「歌のいのち」。
もちろん選歌も担当。
詠草の締め切りは、
来年の2月1日。
多くの方の応募を期待したい。
翌々日には、元号が変わるという日に、
講演をするというのも、少し不思議な感じがする。

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現代短歌・南の会の雑誌「梁」の95号が届いた。
40年目とあるから、すごい。
超結社の雑誌で、これだけ長く続いている雑誌は
あまり聞いたことがない。

編集後記で伊藤一彦さんが書いているが、
島内景二氏の長編評論「小野葉桜と藤田世津子」は、
圧巻としか言いようのない評論である。
宮崎県西郷地方出身の歌人である小野と藤田について
書いているのだが、
特に「7 藤田世津子と駿河梅花文学大賞」の賞は、
読み終えて呆然するしかない内容である。
この内容を詳しく書くことは無理なので、
関心のある方はぜひこの雑誌を手に入れて読んでいただきたい。
結末だけ簡単に書けば、
受賞した藤田世津子も、
最後まで推さなかった春日井建も、
最後まで推した種村季弘も、
2004年に亡くなった。
三人ともに癌で闘病中であったのだ。
春日井も種村も文学者としての矜持を貫いたのであった。
賞の選考というものが自分自身のすべてをもって
なされたのだとしか言いようがない。

藤田世津子の受賞歌集は『反魂草』。
平成15年にながらみ書房から出されている。
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昨日の穂村さんの文章に刺激されて、
書庫から大松達知さんの第一歌集『フリカティブ』を
出してきて読み始めた。
やはり面白い。
面白いというのは、不謹慎なもの言いかもしれないが、
この歌集の感想としては、「面白い」あるいは「愉快だ」が
適当かなと思う。
書誌を少し。
2000年9月30日発行。
柊書房刊。
コスモス叢書631番。
特記すべきは、栞があること。
というのも、コスモスの歌集は、栞を入れることはほとんどないから。
執筆者は、実に豪華。
吉川宏志、米川千嘉子、そして高野公彦。
もちろん、選歌も高野さん。
では、歌を少し。

・さういへばなどと授業を中断し予定どほりの余談に入りぬ

ぼくもかつてこの手をよく使ったなあ。

・妻をらぬゆふべ聞きをり留守電のこれから帰るといふわれの声

今はラインがあるからこういう悲喜劇はありえない。

・買つてきてあげたわと妻は言ふけれどわが給与にて飲むこのビール

きわどいなあ。これ以上言うとやばい。
最近、大松くんの歌は、このきわどさにチャレンジしているような
歌が多くて、ひとごとながら、ぼくは心配しているのだ。
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中日新聞夕刊に不定期掲載の穂村弘さんの連載
「やわらか眼鏡」、今日掲載されている。
題は「禁断のラーメン」。
書き出しを引用する。


「こんな短歌がある。

かへりみちひとりラーメン食
ふことをたのしみとして君と 
わかれき     大松達知

わかるなあ、と思う。
「君」とはたぶん恋人だろ
う。大好きで一緒にいると楽
しい大切な相手にちがいな
い。けれど、にも拘わらず、
作中の〈私〉は、その「君」
と別れた後の帰り道に、一人
で「ラーメン」を食べること
を密かに楽しみにしているの
だ。」

デイトをしておいて、さらに今度は大好きなラーメンを
食べることに浮き浮きしている「作中の〈私〉」は、何という
不届き者と非難されるかもしれない。
でも、多分こういう考えは古いのだ。
また「君」は、「作中の〈私〉」ほどには、ラーメンが好きでは
ないのかもしれない。
さらに言えば、本当に美味しいものは、一人でじっくり味わいたい
という願望もあるのだ。
という具合に、この、「作中の〈私〉」について語ることができるのが、
この歌の一番良いところではないかと考えている。

穂村さんの文章は、この後かなりエスカレートしてゆく。
興味のある方は読まれたし。
多分、東京新聞にも掲載されていると思う。

これは穂村さんのいつもの流儀だが、
引用出典を記さない。
ということで、代わりにぼくが。
この歌は大松くんの第一歌集『フリカティブ』の歌である。


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